日経グッデイ

石原良純の「日々是好転!ときどきカラダ予報」

僕が気楽な“平成JUMP”でいられるワケ

第57回 石原良純 恩師の慰労会のため母校・塾高を訪れる

 石原良純

テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。50代で人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! 高校時代に所属した合気道部の恩師の慰労会のため母校を訪れた石原さん。先輩・後輩に会って、40年の歳月を実感します。その中で最も若さをキープしていたという石原さん。その若さの秘訣は?

日吉駅から慶応義塾大学や慶應義塾高校の校舎へと続く並木道。緩いスロープになっている。

 春の陽射しがポカポカと心地よい日曜日、僕は久々に母校のある日吉の坂を登った。

 慶應義塾大学と慶應義塾高校が連なる日吉の丘。駅前から校舎へと続く緩いスロープを授業に遅刻しそうになっては駆け登り、部活の練習ではダッシュしたのも懐かしい思い出だ。

 この4月、僕が所属した塾高合気道部の初代部長を務められた、福田正彦先生が高校を退職された。その労をねぎらうべく、慰労会を大学の学食の一部をお借りして開くことになったのだ。

 日吉のキャンパスを訪ねるのは、テレビの取材や学園祭の講師など過去に何度かあったが、こうしてのんびりと坂を登るのは学生時代以来かもしれない。

 東急東横線日吉駅を最寄り駅とする学校は、朝の通学ラッシュの混乱を防ぐため、授業開始に時差を設けていた。

危うく大学推薦を取り消されるところだった!

 一番、割りを喰ったのは塾高生だ。中学時代は一番遅く9時だった始業時間が、塾高に入った春から一番早い8時20分に繰り上がる。朝の40分間は、いつまでも寝床を去り難い育ち盛りの少年にとっては大きな時間だ。誰もが、ちょっとイラッとしながら朝の日吉の坂を登っていた。

 当時の塾高は、良くいえば自由気ままな校風。見方を変えれば、野放し状態だったと同窓生の誰もが口をそろえる。

 どうしても朝が辛ければ、一時間目を自主休校にすればいい。翌日、ちょっと字の上手い奴に届けを書いてもらい、三文判を押して提出すればそれで事は済んでいた。

 ところが高校3年生の終わり、大学の学部推薦が決まった時に驚いた。壁にズラリと1学年900人の氏名と進学先が発表される。そんな僕の名前の上には、“遅刻警告”と赤く大きな文字で印されていた。

 どこかで、ちゃんと見ている人がいたのだ。放任主義の裏側には、しっかりとしたセルフ・マネジメントが不可欠だ。なめてかかって、危うく大学推薦を取り消されるところだった。

慶應義塾高校(塾高)の校舎入口。慶應のシンボルマーク(ペンマーク)の上に「慶應義塾高等學校」とある。

 坂を登り切ると、正面が大学の講堂。現在は、耐震基準の問題で建て替え中。左手が大学の校舎、右手が塾高の校舎だ。いずれの建物も、第二次世界大戦を生き抜いた強者たち。なにしろ日吉の校舎には、本土決戦に備え東京から海軍司令部が移動してきていた。日吉の丘の地中には、大地下壕がアリの巣のように張り巡らされているのだそうだ。

男子校の同窓会は色気のかけらもありはしない

石原さんが高校時代に汗を流した柔道場。

 塾高の正面玄関前を抜け、校庭の向こう側の柔道場を目指す。慰労会の前に、学生時代に汗を流した道場で、まず記念写真を撮ることになっていたから。

 時計を見れば集合時間ギリギリ。大門軍団以前の僕は、あまり時間に正確ではなかった。今日のめでたい席にも遅刻しようものなら、同期の仲間にまた白眼視されてしまう。僕は40年経った今も、昔と同じく息を切らして道場に駆け込んだ。

 中に入ると紺色ブレザー姿のおっさんがぎっしりと詰まっていた。ネクタイを締めている人もいれば、締めていない人もいる。でも、皆、おっさん。ふと、窓に映った自分の姿も、おっさん。

 これだから男子校の同窓会はつまらない。色気のかけらもありはしない。

 先輩も後輩も、誰が誰やら分かりやしない。当時、大学生でコーチに来てくれていた先輩も区別がつかない。今日の主役、福田先生だって新任教師で合気道部の顧問を引き受けられた。今年退職されるということは65歳。僕と8つしか変わらない。40年の歳月は、髪の毛の色や量に多少の違いはあるものの、皆を等しくおっさんに変えていた。

塾高時代に合気道の大会に出場した石原さん(写真中央左)。

 それでもやっぱり僕が一番若さをキープしているかも。なにしろ僕は、“平成JUMP”なのだから。

 平成が終わる今、昭和に生まれて平成時代に結婚できず令和を迎える人をそう呼ぶのだそうだ。僕の場合は、結婚はしたものの、生活に大きな変化はない。“平成JUMP”に分類されても仕方ない。

 番組収録に行けば10代の若者も、70代のベテランでも区別はない。一緒に笑い、時には本気で戦う。20代、30代、40代、そして50代の今も僕がやっていることはたいして変わらない。

 世の中で僕の歳の57歳といえば、組織のトップの世代だ。官僚ならば事務次官、銀行ならば頭取に就任していてもおかしくない。実際、テレビ局の同年代は局長クラス。役員の肩書きを持つ人だって珍しくない。

やっぱり最前線で走り回っているのが楽しい!

 でも、司令部でデスクワークするよりも、最前線で走り回っている方が気楽で楽しいに決まっている。

 テレビ番組は、まるで“コンバット”。敵のトーチカを奪取すべく出演者の分隊員全員で協力して攻撃する。若手に正面を任せている間に、サンダース軍曹の僕は敵の裏手に回り込みトーチカに手榴弾を投げ込むとするか。

 この話を聞いて、アメリカ製連続戦争ドラマ「コンバット!」の映像を思い浮かべられる人がおっさん。当時のテレビは白黒放送。映像は全体的に暗いのだけれど、夜間のシーンはちっとも暗くならない。囁(ささや)き声のセリフのトーンと効果音で夜を表現するのがハリウッド・ナイトなのだと親父から聞いた覚えがある。

 まあ、僕が気楽な“平成JUMP”でいられるのは、ストレスを溜め込まないうまい塩梅で暮らしているからに違いない。

 そのためにどうすればいいかって……だから言っているでしょ、一日に一度、空を見なさいって。

石原良純(いしはら よしずみ)
俳優・気象予報士
石原良純(いしはら よしずみ) 1962年1月15日生まれ。神奈川県逗子市出身。慶応義塾大学経済学部卒。テレビ、舞台、映画など幅広く活躍。趣味はマラソン。自宅から10キロ先の所属事務所まで走って通うことも。