テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! 良純さんの父・石原慎太郎さんが亡くなって1カ月余の3月8日、母・典子さんが逝去されました。4人の子供や父の世話に日々駆け回っていた母の姿や、半年に一度だけ母を独占することができた日のこと…。よみがえる様々な思い出や今の思いを、大切な写真とともに披露してくださいました。
枕元でスマホがバイブレーションで揺れている。薄目を開けると、カーテンの裾から洩れる光はまだ薄暗い。早朝の電話に良い話があろうはずもない。ましてや、大阪の宿泊先にまでかかってきたのだから、必ずや悪い知らせに決まっている。
僕が着信ボタンを押すと、妻のかしこまった低い声が聞こえてきた。
「お母様が、さっき亡くなられたそうよ」
「マジ!」
僕の口から衝いて出たのは、なんとも軽薄な一言だった。だって、昨日の夕方に会ったばかりではないか。「じゃ、またね」と歩き出しながら一言かけて別れた。

1年前から介護施設に入居
母は親父が亡くなる1年も前から、高齢者介護施設に入居していた。弱ってしまった血管の修復手術のために、1週間入院しただけで、すっかり脚が弱ってしまった。手術は無事終了したが、リハビリ病院から実家へ帰宅することが難しくなってしまっていたのだ。
コロナ禍、高齢者施設では入居者と家族の面会は儘(まま)ならない。それでも、父が亡くなり気落ちした母を励ましてくださいと、僕は特別に面会を許され施設に顔を出していた。
週末に施設を訪れた時、毎度、母に届けていたプリンを忘れた僕は、週明けの月曜日に羽田空港へ向かう途中に再び施設に立ち寄った。その時の母は、明らかに2日前より元気になっていた。食欲がなく脱水症状を心配して続けられていた点滴も、今日で終わりになると横に立つ看護師さんも笑っていた。
親父が亡くなって1カ月余。少し笑顔も戻ってきた。このひと月、ふた月を乗り越えれば、5年10年と長生きするはずだと思っていた。亭主を亡くした奥さんが、踏ん切りを付けて楽しく余生を送るという話をよく耳にするではないか。
花が咲き誇り、空気がすっかり柔らかくなった春の日に、実家の中庭で親父の思い出話をしながら皆でブランチを楽しむものとばかり僕は思っていた。その時には、実家のワインセラーで見つけた親父秘蔵のロマネコンティを開けてやる。それは僕ら兄弟4人のあさましくも楽しい夢だった。なのに、その主役が突然、舞台から退場してしまうとは思いもよらなかった。
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