テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! 今年2月、良純さんの父、石原慎太郎さんが逝去されました。斎場からお骨を持ち帰った良純さんが、その夜に見たのはどんな夢だったのでしょう。そして、良純さんが父を表す一言としてテレビ番組で紹介した、ある言葉に込めた真の思いとは。父・慎太郎さんとの思い出を綴ってくださいました。
目の前の街路樹に雷が直撃する。轟音とともに火柱が上がり、幹を切り裂いた。息つく間もなく、稲妻が向かいのビルの避雷針に吸い寄せられ、再び爆発音が上がる。次の瞬間、辺り一面が真っ赤に染まった。今度は音だけではなく大きな振動が足元から体を揺さぶった。
でも、大丈夫だ。家の中に入れば、雷に打たれ感電することはない。雷が鳴ったら家の中へ。これは気象予報士の常識だ。
それにしても、自分の暮らす街がこれほどまでに激しく雷に打たれたことがあっただろうか。この世のものとは思えない……と思ったところで気がついた。これは夢に違いない。
そんな夢を見たのは、斎場から親父のお骨を持って帰った夜のこと。母は介護施設に入っているので、実家に身内はいない。四十九日法要まで兄弟4人の家で順番にお骨をあずかることになったのだ。
慌ただしく通夜と告別式を終え、一段落した夜。親父が我が家を訪れると、いつもならば夕飯はなんだ、ビールだけでも早く出せ、と矢継ぎ早に怒鳴っていたところだが、さすがにこの日の親父は大人しかった。10年前の都知事選のポスターの遺影は、その10年前に撮られたもの。実際より20歳も若い親父は、黙ってニコニコと微笑んでいた。
家族の者は、親父が亡くなってからの日々を思いなかなか寝付けなかったらしいが、僕はこの夜は布団に入るなりあっさりと眠りに落ちた。ところが、この雷バリバリで夜中に目が覚めてしまった。

「親父は我儘」に込めた本当の思い
10年も前のこと。親父のことを一言で言い表すならば「我儘(わがまま)」と僕はどこかのテレビで発言した。すると、それを見た母親に大層、怒られた覚えがある。
確かに我儘を辞書で調べれば、自分勝手や自己中心など良い意味はない。でも、僕が言いたい我儘は、そんなニュアンスとはちょっと違う。
ものの本に我儘な人の特徴というのが記されていた。自分が好き。自分の都合が一番。このあたりは当てはまるが、与えてもらうことに熱心でもなければ、物事を打算的に考える人間でもない。
親父は感情の振れ幅が大きいと思われがちだったが、それも違う。次々と思いついたことを次々と実現したいから、檄(げき)を飛ばす声が大きくなるだけなのだ。
僕が親父を我儘と称すのは、我が思う正しさの儘に生きる人だったから。
やりたいこと、やりたくないことをすべて自分で判断する。やりたいことは、人がいくら止めてもやる。やりたくないことは、いくら人に勧められてもやらない。事の善悪はすべて自分で判断する。そして、その結果がどうなろうとも自分で自分の責任は全うする。
そうありたいと誰しもが思っても、なかなか社会の中で実践できるものではない。自分の判断に自信を持つ。自分の行動を揺らぐことなく継続する。それには、並外れた知力も気力も体力も必要だろう。世の中に紛れて暮らしていくほうが、人はずっと楽に違いない。親父にはそんな底知れないエネルギーがあった。そのエネルギーがスパークしたのが、あの夢の雷だと僕は勝手に解釈する。
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- 余命宣告を受けた最後の3カ月