テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。50代で人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! 例年の寒い冬のジョギングには、下準備と気合が欠かせません。ところが今年の冬は事情が違います。“寒くない”から気合がいらないのです。暖かな冬の次に何が起こるかーー。石原さんは走りながら考えます。

冬のジョギングは気合だ。
窓の外を眺めれば、枯れ枝が北風に大きく揺れている。冬晴れの青空のあちらこちらに、輪郭の薄い雲が浮いている。上空に強い寒気が入って来ている証拠だ。
グズグズしていると、どんどん陽は西へ傾いてゆく。こんな時こそ、気合を入れて立ち上がり、一気にランニングウエアに着替えて表に出る。一連の動作に、ほんの少しでも隙があれば気合は一瞬で萎(しぼ)んでしまう。一番大切なのは勢いだ。
トン、トン、トンと二、三回その場でステップを踏んだら、一気にトップスピードで走りだす。頬を打つ風は痛いわ、吸い込んだ空気は冷たいわ。長袖シャツ2枚重ねも、冷気は簡単に肌を透き通す。手袋をはめていても、指先の感覚はない。
ここが辛抱のしどころ、走り出しの1キロさえ我慢すればいい。駒沢公園の外周コースに出る頃にはウエアと皮膚の間に暖気がたまって体が暖まる。肺に大きく外気を吸い込んでも、ほてった体はすぐに空気を暖めてくれる。脳の中にドーパミンが分泌され「やっぱり、走りに出て良かった。冬はジョギングの季節だ」と思えてくる。ついには、地平線の彼方(かなた)まで走って行けるような気がしてくるのがランナーズ・ハイというもの。
でも、その後には不幸が必ず訪れる。足のどこかに痛みを感じスピードが落ちる。スピードが落ちると体の動きは鈍くなる。体の動きが鈍くなると、発熱量が下がる。発熱量が下がれば、寒さを感じる。足は痛いし、体は寒い。ふと気が付けば、痛んだ体で街はずれにひとりぼっち。冬のジョギングは、あらかじめ安全な距離を決めておかないと悲惨な目にあうのだ。
ところが、この冬はジョギングに気合はいらない。なにしろ、今年の冬は寒くないのだから。
窓の外を眺めて木々が揺れていても、表に出れば生暖かな南風が吹いていることに気付く。この冬は雨の日が多かった。空気は乾燥していないから、冬の陽のぬくもりがより心地よく感じられ、室内で静電気でビリッということもない。僕の部屋のエアコンの暖房はこの冬、一度も稼働せず。電気敷毛布も、押し入れから一度も顔を出さなかった。
最近、天気予報を見ていると「明日は平年に比べて◯度高いでしょう」などと予想気温を平年と比較することが減ってきた。
平年値は、30年間の観測値の平均で、毎01年を起点に10年ごとに更新される。だから今の平年値は、1981年から2010年までの30年間の平均。異常気象が頻発する最今、明日の予想気温と遠い過去のデータと比べてみても、確かにあまり意味がない。
暑過ぎる夏は嫌い、涼し過ぎる夏は心配になる。寒過ぎる冬は辛い。でも、暖かな冬は多くの人に歓迎される。しかし、暖かくて過ごしやすい冬、雪が少ない冬を喜んでいて大丈夫なのだろうか。
季節の巡りがひと月はおろかふた月も早い。桜が例年よりも10日以上も早く咲く。今が夏の南極では、最高気温が観測史上、初めて20度を超えたという。暖かな冬の次に何が起こるか、不安に思う人は僕以外にもたくさんいるはずだ。