嵐の夜、誰かが石原さんの寝室に入ってきた
ガタンと音がして、寝室の扉が開いた。黒い人影が近づいて、スルスルと長女・舞子が僕の寝室に入って来た。物音が恐くて寝られないと言うのだ。いいじゃないの。可愛いじゃないの。
娘ときたら、「止めて」「触らないで」と可愛くないこと夥(おびただ)しい。ニコニコとおどけてみせる長男・良将のほうが、よほど可愛気があるというものだ。そんな不満もペタッと擦り寄られると、パッと消えてしまう。我ながら父親とはバカなものだと自嘲する。
そんな娘の為に我が家では、立春を過ぎるとすぐさま床の間にお雛様を飾ってあげる。床の間の二人雛は、女兄弟のいなかった石原家の実家が新調してくれたもの。妻の稲田の実家からは、伝来の百年ものの段雛を頂戴した。お父さんも、お母さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、心配してくれているのだから、舞子も普段からもう少し、皆のいうことを聞きましょう。
思えば去年の暮、舞子が僕の部屋で寝るのは最後と覚悟した。良将が風邪をひいたとき、子供部屋から舞子が僕の部屋に避難するのが決まりだった。でも、この春には子供部屋が分割される。もう隔離病棟は必要なくなるというワケだ。
良純流インフルエンザ対処法とは?
どうやら我が家は、この冬のインフルエンザ禍を免れそうだ。となれば、この春の嵐が舞子がやって来る最後の機会。
インフルエンザにノロウイルス、溶連菌。小さな子供がいると、いろいろな病気が家にやって来る。僕の記憶では、子供が生まれて以来、インフルエンザ禍に見舞われなかった冬は今年が初めて。僕に関していえば1993年の暮以来、インフルエンザを発症したことはない。
忘れもしない93年の大晦日。スキーから帰ってきた僕は、独り暮らしの部屋に戻った途端に発病した。家にたどり着いたという安心感からか、突然、高熱が出たのだ。グルグルと部屋の壁や天井が廻りだし、まるで大地震にでも遭遇したようで、その場にへたり込んだ。それでも、水とバナナと着替えをベッドの横に積み上げたところで記憶を無くした。それから三が日を、ずっとベッドで過ごした生涯で最も記憶が薄い正月休みだった。
あの時に体得したインフルエンザが発症する瞬間とは、体の中で卵が割れてどっと熱が出るという感覚。今も役立っている。
ウイルスを拾ってしまった――。絶対に体調が悪い――。そんな時は早く動かない、大きく動かない、大声を出さない、自分の気配を小さくする。卵のカラの強度が増すまで、そ~っとそ~っと暮らすのが僕の対処法だ。それ以来、僕はインフルエンザにかかっても、発熱したことがない。
舞子と眠ってちょっぴり得した気分で目覚めた翌朝、新聞を取りに出た僕は気がついた。ゲゲ、僕の自転車が倒れて、僕の愛車のドアに凹みを作っている。ムムム。やっぱり、季節外れの嵐なんかいらない。
俳優・気象予報士
