テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。50代で人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! 1月15日に58歳の誕生日を迎えた石原さん。今年の誕生日は家族4人でゴージャスなケーキを楽しみました。ケーキの後はハードリカーとなるのがこれまでの定番でしたが、今の石原さんは違います。年を取ったからこそ気付いた「お酒の飲み方」とは。

1月15日は、僕の誕生日。満58歳となりました。
でも58歳の誕生日は、めでたいのだろうか。昨日のジョギングのせいだろうか、一昨日のテニスのせいだろうか、朝起きたら体が痛い。あれしきの距離で。あれしきのゲームで。体のどこかが痛くもなれば、夜中に足がつることすらある。これすべて加齢のせいに違いない。
年は取りたくないものだ。誕生日が喜べなくなったのはいつ頃からだろうか。
21歳の誕生日を、僕は大阪で迎えた。石原裕次郎社長以下、石原軍団勢ぞろいで懇意にしていた宝酒造会長の歌の発表会の応援のために滞在していたのだ。
♪♪ワワワワ〜ッ♪♪と全員で超豪華にバックコーラスを務めてステージが終わり、渡さんのスイートルームで食事会までの時間を潰(つぶ)していた時のこと。沈黙が気まずいので、僕は何かせねばと思い、「実は、今日は僕の誕生日なんです」と声を発してみた。すると舘さんが一言、「だから何だ」。
それは僕が初めて誕生日は特別な日ではないのだ、大人はたいして誕生日がめでたくないのだと思った瞬間だった。
1月15日が誕生日というのは、子供の頃は得だった。なぜなら、成人の日で学校が休みだったから。毎年毎年、必ず休みになるのが祝日生まれの特権だった。友だちと集まれば、その日ばかりは僕が遊びの主役になれた。
仕事も忙しいが、遊びも忙しい。子供より自分の予定が一番の親父がいる我が家では、バースデーディナーなどもちろんなかった。それでも何かの拍子に、誰かの誕生日に家族全員で食事に出かけたこともあった。それでも四人兄弟で、それぞれ一回づつぐらいしか出かけた記憶がないから、石原家では誕生会というのはかなり珍しい行事だった。
神奈川県逗子市在住の家族にとって、当時のお出かけ場所の人気ナンバー1は、葉山マリーナの中華料理。子供にとっては食事よりも、ボウリング場の入り口に置いてある3台のスロットマシーンが魅力的だった。街にゲームセンターもなければ、家にテレビゲームもない時代のこと。おばあちゃんにおこづかいを貰(もら)って、兄弟四人が我れ先にとスロットマシンに殺到した。大人の僕はパチスロはやらないが、子供の僕はクルクルと回るドラムが楽しくてしょうがなかった。
マリーナ向かいの日影茶屋は、子供らにとっては今一つ不人気だった。子供にとって日本庭園は遊びづらい。松の小枝も庭石も駆け回るには邪魔くさい。苔(こけ)を踏みつけ、池の端を飛び越えては叱(しか)られた。