日経グッデイ

草野仁の「苔(コケ)ない男」

毎日1時間の運動で「健康寿命」を延ばす!

「最後まで元気でやってたよね」と言われたい

 草野 仁

クイズ番組や健康バラエティー番組の司会を中心に、今も第一線で活躍するキャスターの草野仁さん。70歳を迎えてますます輝きを増す秘密はどこに隠されているだろうか。いつまでも“苔(コケ)ない男”であり続ける、草野流のスーパーエイジング術に迫る。

丈夫な体は父親からのたまもの

 今年の2月、私は70歳の誕生日を迎えました。70歳といえば古希。中国の古典で「人生七十古来稀なり」といわれた年齢で、私が幼いころには「かなりのおじいさん」という印象でした。

「健康番組の司会で疾患の仕組みを知るにつれて、自分の体がこれまでどれほど恵まれていたのかがよくわかりました」(写真:岡﨑建志)

 でも、これこの通り。幸いなことに、たいした病気もせずに、今も元気いっぱいで仕事を続けています。現在、体重は77kg、体脂肪率は21~22%、基礎代謝は1750kcalで、かかりつけ医には肉体年齢は53歳だと言われました。

 私の体が頑丈なのは、親のおかげです。私は、男3人、女1人という4人きょうだいの末っ子ですが、父親の身体的な特徴を最も強く受け継いでいるのが私でした。

 数学者で長崎大学の教授を務めた父は、私よりも背が高く、筋肉質のがっちり型。旧制の福岡高校時代には、自己流で砲丸投げをマスターして、2年生で高校の全国大会2位、3年生では優勝してしまったという猛者です。東北帝大時代の数学科時代には、陸上五種競技と剣道の選手にもなりましたが、最終的に「二兎を追うものは一兎をも得ず」という自身の信念のもと、スポーツを断念して勉学に打ち込んだそうです。

 私は長崎県島原市で幼少時代を過ごし、小学校時代から駆けっこが早くて、野球や相撲も大好きなわんぱく少年でした。自分で言うのもなんですが、勉強は嫌いだけれども、運動能力は抜群でした。島原中学では野球部に入って新人戦では4番を任されたほどです。もっとも、来た球はストライクだろうがボールだろうが、すべて打ちにいったもので、11打数2安打という残念な成績を残してしまいました。

 中学2年生になると、走ることが好きなものだから、陸上競技部をつくって自ら部長となり、3年生のときには、長崎県大会の100m走で優勝、走り幅跳びで3位の成績を収めています。たいして練習はしなくてもこの成績だったのですから、父から受け継いだこの頑丈な肉体には感謝しています。

 島原高校でも陸上競技を続け、100m走で11秒2という記録を残しています。恐らく、そのまま競技を続けていたら、そこそこの選手になっていたことでしょう。

NHKに入社してスポーツ専門アナウンサーに

 大学を卒業したのが1967年。その3年前に開催された東京オリンピックのおかげで、白黒テレビが爆発的に普及した時代です。日常生活におけるテレビの影響も、急速に高まってきました。そこで、「これからはテレビの時代だ。テレビの世界に行ってみよう」と決心したのです。

「年を取ったことを理由に生活のペースを落すと、かえって老化を進めると思っています」
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 NHKには報道記者の志望を出したのですが、当時のNHKの方針でアナウンサーとして採用。鹿児島放送局勤務となりました。ところが、そこで目の当たりにしたのは、アナウンサーはどこまで行っても”回し役”ということ。つまり、どんなにアナウンサーが専門的な知識を持っていても、解説をするのは東京から来た専門家であって、アナウンサーはあくまでも番組を進行させる受動的な立場に過ぎないのです。

 そこで、私は考えました。

 「アナウンサーであっても、能動的に活躍できる分野はないのだろうか?」

 そうして思いついたのが、学生時代からなじんでいたスポーツです。まずは高校野球の地方予選から始めて、「スポーツのアナウンスを極めて東京に戻ろう」という戦略を立てたわけです。

 結局、これが功を奏して、スポーツ専門アナとして認められ、福岡、大阪を経て、都合10年目に東京に帰還しました。

「病は気から」を地でいった福岡での体験

 実は、その間、私の”頑丈神話”を揺るがす一大事件が起きています。

 それまで病気一つしない丈夫な体が自慢だったのですが、福岡勤務時代に体に異常をきたしたことが1回だけあったのです。福岡時代はずっと局内では最年少でしたから、ずっと気を遣っていたのだと思います。先輩へのお茶入れも下っぱの私の仕事。おかけで、今でもおいしいお茶を入れるのは得意です。

 それはさておき、ある日、会議中に急に胸が苦しくなってきました。「これは尋常じゃない」と直感して、その日の夜9時ごろ、既に閉まっている内科病院の門を叩いて、強引に診てもらったのです。県の医師会副会長という要職にある医師でした。

 ところが、あれこれと診察した結果「なんでもないよ」とひと言。そんなバカなことはないと、翌日になるとクリニックをあちこちはしごしましたが、どの医師も「異常なし」と言うばかり。

 でも、おかしいではありませんか。実際に胸が苦しいんです。症状があるのだから、どこかに異常があるはずです。その時は「そんなことがわからないなんて、やぶ医者どもめ!」と、私は心の中で罵ったものでした。

自律神経失調症の診断をきっかけに意識改革

 最後に、つてを頼って当時の九州大学で助教授でもある先生に診てもらったところ、こんなことを言ってくれました。

 「草野さん、機能的には問題はありません。でも、実際に胸が苦しいのですから、どこかに不調があるのは間違いありません」

 そう言って、「自律神経失調症」という診断を下しました。

「毎日5分でも、時間を見つけたら体を動かしています。生活習慣の一つにしてしまえば、体を動かさない日のほうが、なんだか調子が悪くなりますね」

 「4、5日ゆっくり休みなさい。そして、くよくよしないことが大切ですよ」

 まさに、「病は気から」という言葉そのままの体験でした。このときから私は、細かいことまでいちいち気に病むのは止めたのです。

 このときの経験が、健康に対する私の考え方を大きく変えました。それまでは、「腹が前にせり出さなければ大丈夫」という程度の認識だったのですが、以後は積極的に健康を維持することを心がけるようになりました。

 ダンベルとエルゴメーター(自転車型トレーニングマシン)を始めたのも、このときからです。もっとも、ダンベルはいきなり15~20kgなどという重いものを使ったものだから、すぐに腕や肩を痛めたというオチがつきました。何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。

 一番いいと思ったのは歩くことです。歩くことで肉体的にも精神的にもリフレッシュすることを実感しました。当時は、ウォーキングなどというしゃれた呼び方はありませんでしたが、大阪時代などは通勤電車に乗らずに長い距離を歩いて通っていたものです。

健康番組の司会で食事と運動の大切さを再認識

 さらに健康に注意をするようになったのは、2006年に始まったテレビ東京系列の『主治医が見つかる診療所』で司会を任されてからです。

 番組で、たくさんの医師や専門家の話を聞くうちに、健康に対する考えが根本から変わりました。それまでは「検査に引っかからなければ健康に問題はない」と考えていたのですが、そうではないことに気づかされました。特に、生活習慣病の恐ろしさを知るにつけ、食事に気を遣うようになると同時に、適度な運動の大切さを再認識したのです。

 食事に気を遣うといっても、極端な食事法をしているわけではありません。あえて心がけていることといえば、「食事を1週間のトータルで考える」ということ。例えば、焼き肉をたらふく食べたら、翌日は食事を控えめにするといったように、1週間を通じたバランスに注意しています。また、以前はロケ弁のご飯を残らず食べていたのですが、最近ではこれを半分残すことで、半年で体重を6、7kg減らすことができました。油もとりすぎないように注意しています。

毎日の習慣にしている60分の運動メニュー
エルゴメーター        40分
ダンベル5㎏を使った筋トレ10分
草野流8種体操       5分
真向法体操(第一体操)     5分

 もちろん、筋トレは続けています。これはもう私の趣味の一つのようなもので、ダンベル、エルゴメーター、そして股関節を鍛えるストレッチを、合わせて毎日1時間強続けています。加えて、仕事の合間に時間があれば、なるべく歩くようにしています。

 私もあと何年生きられるかわかりませんが、なるべく周囲の人に苦労をかけずに、少しでも長く現役で過ごしたいと思っています。そのために、生活習慣に注意して、ただ長く生きるだけでなく、自立した生活ができる期間である”健康寿命”を延ばすように努力しています。そして、死ぬときは、できればピンピンコロリが理想。

 「草野さんは最後まで元気でやっていたよね」とみんなに言われるようにしたいものです。

(まとめ:二村高史=ライター)

草野 仁(くさの ひとし)
キャスター
草野 仁(くさの ひとし) 1944年2月生まれ。1967年東京大学文学部社会学科卒業後、 NHK入社。鹿児島放送局、福岡局、大阪局を経て、東京アナウンス室へ。主にスポーツ・キャスターとして、五輪中継をはじめ、国内外のスポーツ実況中継を担当。また、「ニュースセンター9時」「ニュースワイド」のキャスターも務めた。1985年に独立しフリーに。以降、テレビやCMなどで活躍中。趣味・スポーツは、「映画鑑賞」「ゴルフ」「カラオケ」「競馬」「剣道(二段)」と多才。