日経グッデイ

医学博士 大西睦子のそれって本当? 食・医療・健康のナゾ

医食同源? 遺伝子組み換えの“医薬品”と“食品”は何が違うのか

遺伝子組み換え作物の普及が農薬の使用を増やす悪循環の懸念も

 大西睦子

食、医療など“健康”にまつわる情報は日々更新され、あふれています。この連載では、現在米国ボストン在住の大西睦子氏が、ハーバード大学における食事や遺伝子と病気に関する基礎研究の経験、論文や米国での状況などを交えながら、健康や医療に関するさまざまな疑問や話題を、グローバルな視点で解説していきます。
今回は米国での議論が盛んな「遺伝子組み換え食品」について。

「遺伝子組み換え」ってどんな技術?

遺伝子組み換え技術により、既存の動植物に全く新しい性質を持たせることができる。(©Valentyn Volkov/123RF.com)

 私たちは、親とよく似た姿、形や性質を持って生まれますよね。それは、親から子へ生物としての情報が受け継がれること、つまり遺伝によるもので、この遺伝情報を担う主要な因子が遺伝子です。

 「遺伝子組み換え技術」は、この遺伝子を操作し、目的の遺伝子だけを切り取って動植物の細胞のDNAに組み込むもので、これにより既存の動植物に全く新しい性質を持たせることが可能となりました。

 特に重要なのはこの技術を応用することで「種の壁」を超えられるようになった点。例えば、「細菌の遺伝子を取り出して、大豆の細胞に挿入する」ということができるようになったわけです。

 この遺伝子組み換え技術が誕生したのは、1970年代のこと。1973年、コーエン博士とボイヤー博士は、大腸菌を使って初めて遺伝子組み換えに成功しました。その後、遺伝子組み換え技術は、食品、医療や農業など、さまざまな分野で応用されています。

医療における遺伝子組み換えの始まりはインスリン

 遺伝子組み換え技術を用いて、世界で初めて作られた医薬品は、糖尿病の治療で使われているインスリンです。インスリンは、私たちの体の中で唯一、血糖を下げるホルモンです。糖尿病にかかると、インスリンが足りなくなったり、正常に働かなくなります。そうなるとブドウ糖がうまく吸収できなくなるので血糖が上がり、全身に障害が起きます。だから糖尿病の患者はインスリンを補う必要が生じます。

 従来はインスリンを人工的に作ることが非常に難しく、ウシやブタのすい臓からインスリンを抽出していました。ただし、免疫反応の問題が発生したり、糖尿病の患者が増え続けたことで、ウシやブタから抽出したインスリンでは、供給が間に合わなくなる懸念が出ていました。

 そこに登場したのが、遺伝子組み換え技術です。米国のイーライリリー社が、ヒトインスリン遺伝子を切り出し、大腸菌や酵母に組み込んで、ヒト型のインスリンを大量生産することに成功し、1982年に「世界初のバイオ医薬品」として販売を開始しました。

 これ以降、遺伝子組み換え技術を用いて、さまざまな医薬品が製造されています。遺伝子組み換え技術を用いた医薬品が、私たちの健康に貢献していることに疑いはありません。

■参考文献
U.S. Food and Drug Administration「Celebrating a Milestone: FDA's Approval of First Genetically-Engineered Product
Joslin Diabetes Center「The History of Insulin


遺伝子組み換え技術の食品への応用

 遺伝子組み換え技術は、医療品だけではなく、食品にも応用されています。

 そもそも私たちは、人類にとってより有用な品種を作り出すため、古くから食物や家畜の「品種改良」を行ってきました。その古典的な方法が「交配」です。人為的に、同じ品種間でも違う性質の個体同士を、あるいは突然変異で発生した品種と掛け合わせることで、両者の長所を兼ね備えた新たな品種を作りだそうというものです。ただし、思い描いた通りの品種を交配によって作り出すには膨大な時間と労力が必要で、生物の「種の壁」は超えられず、限界がありました。そこに新たに出現した技術が、遺伝子組み換えなのです。

 まず先駆的な遺伝子組み換え植物として、たばこやペチュニアが品種改良されました。

 そして1994年、遺伝子組み換え食品として初めて市場に「日持ちのよいトマト」が出荷されました。普通のトマトは実を柔らかくするペクチン分解酵素の働きで、日持ちせず傷みやすいものです。それを、ペクチン分解酵素の遺伝子の働きを抑え、その酵素が働かないようにしたものが、日持ちのよいトマト。輸送や貯蔵の過程で鮮度が落ちる問題が解決され、いつも新鮮でおいしいトマトを食べたい、という夢が実現されたわけです。

 これは、遺伝子組み換え食品の商業化を予想させる出来事だったといえます。その後、大豆、トウモロコシ、菜の花、ジャガイモ、トマト、綿など新しい遺伝子組み換え食品(作物)に次々と広がりました。

遺伝子組み換え食品と医療品、何が違うの?

 こうして、同じ遺伝子組み換え技術を用いた医療品と食品ですが、一般消費者の受け入れ方は異なります。トゥルク大学(University of Turku)の研究者らは、ヨーロッパ人が一般に、遺伝子組み換え食品に対して批判的でありながら、遺伝子組み換え医療品には満足している理由に関して報告しました。

■参考文献
Helena Siipi and Veikko Launis : Opposition and Acceptance of GM-food and GM-medicine : The Open Ethics Journal, 2009, 3, 97-103


 まず、前提として

[1]遺伝子組み換え医療品は、ほかの医療品と同様に、即効性を期待するが、それに比べて、食品の場合、遺伝子組み換えという行為自体と、食品そのものに対する期待に距離感がある。遺伝子組み換えでない食品の選択肢があるので、抵抗を感じる場合もある
[2]食品と医薬品は、ともに私たちの健康と幸せに大きく影響する。どちらも、合理的に使用すれば、私たちの健康に利益をもたらし、過度または不適切な使用は有害となる可能性がある
[3]機能性食品など、食品と医薬品の間に境界があいまいな製品もある
 ということがあります。

 ヨーロッパで起きている、遺伝子組み換え論争の1つは、遺伝子組み換え作物が環境に与える影響です。

 遺伝子組み換えによる害虫抵抗性作物や除草剤耐性作物は、世代を経て、害虫や雑草のほうが耐性を持つようになり、結果として農薬などの使用が増加する可能性があります。さらに環境や生態系への悪影響が懸念されます。これに対して、遺伝子組み換え医療品は、研究室内で精製されるので、環境への影響を心配することはありません。

 安全性や副作用に対しては、医療品は多くの場合、短期間に使用されるのに対して、食品は毎日摂取します。また、医薬品は、病気の治療に使われるので、望ましくない副作用は許容されます。さらに、多くのヨーロッパ人は、食品業界より、医薬品の安全規制や試験を信頼し、商品化以降も、医療品はより密接に監視されることを感じています。つまり、医療品に対しては、医師など専門家の意見を求めるものですよね。ところが食品については、食品メーカーやスーパーマーケットの意見よりも、自分の経験を信頼する傾向にあるのです。

 また、食品は、自然や純度の高いものを期待しますが、医療品はその効果に期待します。さらに、遺伝子組み換え食品により、食糧難による飢餓が解消されると期待されましたが、実際はこうした食品は欧米市場に集中して流通しています。

消費者には「知る権利」、そして「選ぶ権利」がある

 このように、同じ技術を用いた食品と医療品ですが、さまざまな違いがあるようです。最終的に研究者らは、遺伝子組み換え食品を摂取するかしないかは、個人が決定するべきであり、そのためにも「表示」が重要と主張しています。

 米国では、「表示」がないため、遺伝子組み換え食品が急速に普及しました。そして今になって、表示の義務化をめぐって大論争が過熱しています。私も、遺伝子組み換え食品の長期的な安全性が不明であっても、少なくとも消費者には「知る権利」、そして「選ぶ権利」があると思います。

大西睦子(おおにし むつこ)
医学博士
大西睦子(おおにし むつこ) 東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて、造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年4月より、ボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。2008年4月より、ハーバード大学にて、食事や遺伝子と病気に関する基礎研究に従事。著書に『カロリーゼロにだまされるな――本当は怖い人工甘味料の裏側』(ダイヤモンド社)。
日経トレンディネット2014年8月1日付け記事からの転載です。