コース最大の難所、30km過ぎの大橋で立ち止まる
30kmを過ぎると、このコースの最大の難関である岡南大橋に差しかかります。一気にやってくる高低差20mのアップダウンは、非常につらい…。橋の上で再び立ち止まり、思わず給水所の机にもたれかかりました。疲労のピークがきたようで腰から脚までに力が入らず、脚が前に出ません。この辺りのエイドは、地元のラーメンなど岡山の名物が食べられるので、できるだけ口にしようと思っていたのですが、それどころではありませんでした。
しばらく休んだ後、少し前傾姿勢になりながら再び走り出しました。足裏もつりそうになりましたが、足先をぐっと外側に向けることで回避。現役時代の経験と知恵を生かして、トラブルにも冷静に対応することができました。
岡山の美しいロケーションを再発見!
20km過ぎからは1km6~7分ペースで走りましたが、とにかくつらかった…(苦笑)。しかし実際にランナーとして走ってみることで、新たな発見がたくさんありました。それは地元・岡山の美しさや素晴らしさです。
コースを設定する時、「秋になると殺風景で何もないだろうな…」と思っていた場所が、驚くほど美しく色づいた紅葉の景色に。その予想以上のロケーションに思わず「岡山ってきれいじゃん!」ってつぶやいてしまうほど。
さらに沿道では、驚くほどの地元の方々の声援。いくつかの学校付近を通過するようにコースを設定したので、そこに通う学生が応援してくれたり、ボランティアに参加してくれたり。美しいロケーションと、たくさんの地元の方が喜んでくださっている姿を見て、心の底から喜びが湧いてきました。

苦しかったゴール直前のハイタッチ
「有森さん! がんばれー!」
ゴールに近づくにつれて声援は大きくなり、とてもうれしかった…のですが、申し訳ないことに、その時の私はハイタッチする元気もなく…(笑)。「ハハハ…」と苦笑いしながら手を挙げるのが精一杯。何とも無愛想なランナーだったと思います。
いつもランナーの皆さんには「ゴール付近では笑顔でハイタッチしましょう!」なんて話しているのに、実際にランナーの立場になってみると、「みんなこんなつらいのにハイタッチしてくれていたのか…」と思いました。
隣についてくれる救護ランナーの方に「大丈夫ですよ! 有森さん」と励まされ、ヘロヘロになりながらも「前へ、前へ」と自分に言い聞かせながら、一歩一歩地面を踏みしめるようにゴールへ向かいました。
そしてゴールした瞬間、自然と涙が溢れてきました。それは、完走できたから…というよりも、岡山が力を合わせて一つになったような気がしたから。
この大会を実現させるために、県警や地元の人々が最後まで諦めずに動き、地元企業も商品を提供するなどのサポートをしてくれました。たくさんの人がボランティアとして参加してくれて、沿道では多くの声援を送ってくれました。
今回の参加者のうち、初マラソンのランナーは約3割でした。その半分が岡山県民。つまり、中国地方最大規模のマラソン大会であり、陸連の公認コースであり(この公認を受けるためにいろいろな苦労もありました)、何よりも地元開催だからこそ、「走ろう」と思ってくれた地元ランナーがたくさんいてくださったのだと受け止めています。これは本当にうれしいことでした。
主催側にとっては初開催ですから、“心配”しかなかったと思います。しかし、主催する側、応援する側、出場する側といった様々な立場から岡山の人たちが1つになって、地元での初開催を成功させてくれたような気がします。あらためてマラソン大会の素晴らしさや開催地にもたらす影響の大きさを感じました。
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