日経グッデイ

有森裕子の「Coolランニング」

有森裕子 新しい時代を切り開く女性アスリートたち

偏見打破から「EQUAL PAY」へ

 有森裕子=元マラソンランナー

 暑さもピークを超え、開催まで1年を切った東京オリンピックに向けて、さまざまな記念イベントが開催されています。今週末、9月15日にはいよいよ、マラソン日本代表の座をかけたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が開催されます。オリンピック本番と同じ都心のコースを走り抜けるトップランナーたちの勇姿を、ぜひ沿道やテレビ中継でご覧いただければと思います。

偏見と戦い、日本女子初の五輪メダリストになった人見絹枝さん

 そんな五輪ブームを盛り立てる1つ、NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』で、少し前に(7月7日放送回)、ダンサーの菅原小春さん演じる人見絹枝さんが登場しました。

 人見絹枝さんは、1928年のアムステルダム五輪に日本人女子選手として初めて出場し、800mで日本女子初のメダリスト(銀メダル)になった陸上選手です。1928年といえば、今から約90年前。遠い昔の出来事のように思われるかもしれませんが、実はこの方、私と不思議なご縁のある方であり、日本の女性アスリート活躍の礎を築いた人でもあるのです。

 彼女は1907年(明治40年)に私と同じ岡山県で生まれました。16歳の時に陸上競技を始め、走り幅跳びの日本最高記録を出して、17歳の時に二階堂体操塾(日本女子体育大学の前身)に入学。三段跳びややり投げ、50m走などさまざまな種目で記録を打ち立てていきます。

 19歳で大阪毎日新聞社(現・毎日新聞社大阪本社)に入社し、運動課で記者をしながら、100mや砲丸投げなどにも活躍の場を広げ、続々と日本記録や世界記録を樹立。ついに21歳でアムステルダム五輪に出場し、日本女子初の五輪メダリストとなりました。

 しかし、練習と試合、仕事と、身を削るような生活がたたったのか、若くして病に倒れ、残念ながら24歳という若さで亡くなってしまいます。

同郷、同じ日にメダル獲得という不思議なご縁

 人見さんは特に岡山では有名な方ですが、私が彼女をより意識するようになったのは、1992年のバルセロナ五輪で銀メダルを獲得してからです。私のメダル獲得は、日本人女子の陸上選手としては64年ぶり、人見さんに次ぐ史上2番目だとして注目されました。さらに、バルセロナ五輪でメダルを取った日は、奇しくも人見さんがアムステルダムで銀メダルを獲得した日と同じ8月2日。そして、彼女が亡くなったのも8月2日だったのです。メダリストとしての不思議なご縁を感じた私は、帰国後、故郷・岡山にある人見絹枝さんの墓前で銀メダル獲得の報告をさせていただきました。

 こうしたご縁だけではなく、私は人見さんの生き方にも、同じ女性アスリートとして大いに共感を覚えています。

 彼女のすごいところは、女性が人前で太ももを出して走ることへの批判や偏見が強かった昭和初期の時代に、大変な苦労をしながら女性アスリートとして道なき道を切り開き、輝かしい結果を残したことです。

 そんな彼女の生き方に、私自身、プロ化を求めて奮闘した日々(詳しくはこちら:私が「プロ宣言」で手に入れたかったもの)を重ね合わせ、共感する部分が多くありました。人見さんが大変な壁を乗り越えてくださったからこそ、時代を超えてさらに進化した壁が私の前に現れ、乗り越えることができたのだと思うのです。

 人見さんは、後輩たちが当たり前のようにスポーツができる環境を作るために、世の中の偏見やそれまでの常識と戦いました。彼女のような偉大な先駆者がいたからこそ、日本の女性アスリートが世界で戦える道が開けたと言っても過言ではありません。だからこそ、彼女に続く五輪メダリストになった私も、人見さんの思いを後進に伝え、つなげていきたいと(勝手に)思っています。

「EQUAL PAY!」のムーブメントを作った米国女子サッカーチーム

 今でこそ女性がスポーツの世界で活躍することは当たり前になったものの、世界を見渡すと、まだ男女間の格差を感じるような場面に出合います。

 例えば、7月にフランスで開催された女子サッカーワールドカップ。この大会では米国チームが4度目の優勝を飾りましたが、帰国後、ニューヨーク市庁舎前で行われた表彰セレモニーで、チームのキャプテンであり同性愛者のミーガン・ラピノー選手は、こんなスピーチをしています。

 「このチームにはピンクの髪の女性やタトゥーを入れている女性、黒人女性、白人女性、その間のさまざまな(人種の)女性、ストレートの女性、ゲイの女性もいる。そんなチームをキャプテンとして率いたことは最大の名誉だ」

 そんな彼女の言葉に、集まった人々は大歓声で応えます。

ニューヨーク市で行われた米国女子サッカーチームの表彰セレモニー。中央がキャプテンのミーガン・ラピノー選手。(写真:AP/アフロ)

 実は、ラピノー選手の発言に大きな注目が集まったのは、チームが優勝したこと以外にも理由がありました。ラピノー選手が率いる米国女子サッカー代表チームは、以前から、男子の代表チームよりも報酬が少なく、男女格差が生じていることに異議を唱えていて、今回のW杯の数カ月前に米サッカー連盟を提訴していたのです。

 「EQUAL PAY(男女平等賃金)」を求める彼女たちの訴えは多くの人の共感を得て、W杯優勝直後のスタジアムや、この時の祝賀パレードでは、観衆から「EQUAL PAY!」の大コールが巻き起こり、米国のみならず国際社会に大きなインパクトを与えました。私も動画でこのスピーチを見たのですが、その力強いメッセージと聴衆の熱狂に、鮮烈な印象を受けました。

 国際サッカー連盟(FIFA)の会長は、2023年に開催される女子ワールドカップで女子選手の賞金を現在の2倍にすると発表しましたが、それでも男女平等にはならないそうです。

 スポーツにおける男女の賃金格差解消を要求する彼女たちへの応援が、大きな社会的ムーブメントになっていくこの空気は、米国ならではという印象もあり、日本ではなかなか作れるものではないかもしれません。日本では、トップアスリートが政治に関してコメントをすると、「政治家でもないのに分かったようなことを言うな」という批判を受ける風潮があるように思います。

 もちろんトップアスリートになればなるほど影響力も大きいので、本当に伝えたいことは、慎重に言葉を選んで伝える義務はあるでしょう。しかし、アスリートが政治のことを語ってはいけないとは思いませんし、1人の国民、1人の人間として、ラピノー選手のように意見を持つことは大事だと思います。

 賃金格差やセクハラ、パワハラなど、女性アスリートが弱い立場に置かれるシーンがまだ残っている時代だからこそ、特に大きな実績を出した選手は、その発言力を生かし、女性アスリートとして自分の意思をしっかり持ち、責任ある発言をしていってほしいと思います。

女子選手のセカンドキャリアにもつながる「なでしこケア」

 最後に日本の話題をもう1つご紹介します。今年7月、日本女子サッカー選手が社会貢献を行う一般社団法人「なでしこケア」が発足しました。日本女子サッカー代表「なでしこジャパン」の主将DF熊谷紗希選手や、元日本代表DF近賀ゆかり選手、元日本代表FW大滝麻未選手らが中心となり、難病の子供を支える母親向けのサッカー教室を展開するなど、女子サッカーの価値向上を目指した活動を実施するそうです。今後は国内外で活躍する選手に参加を呼びかけ、中学生の女子選手の環境整備や、選手の引退後のキャリア設計にも取り組むそうです。

 女子サッカーがより社会に愛され、文化として定着させるための活動であり、うまく軌道に乗れば、女子サッカー選手のセカンドキャリアにもつながりやすくなるでしょう。

 こうした活動は私も大いに応援したいですし、このなでしこケアの活動が、現状の殻を破るようなロールモデルとなって、他の女性スポーツの地位や価値向上にもつながればいいなと思います。

(まとめ:高島三幸=ライター)

有森裕子(ありもり ゆうこ)さん
元マラソンランナー
有森裕子(ありもり ゆうこ)さん

1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。

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