日経グッデイ

有森裕子の「Coolランニング」

有森裕子 マラソン女子の低迷脱出のカギは?

無名のランナーにも勝機はある、常識にとらわれない戦略を

 有森裕子=元マラソンランナー

 新年度を迎えて新元号の発表も終わり、5月からはいよいよ「令和」の時代が始まります。気持ちも新たにランニングを楽しんでいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

 そしていよいよ来年、2020年には東京オリンピックが開幕します。その切符をつかむためにトップアスリートたちは、それぞれの戦いの場で自分と向き合いながら研さんを積んでいることと思います。

 マラソンに関して言えば、2019年9月に開催されるMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ:東京五輪マラソン代表決定レース)の出場権を獲得した男子選手は、2019年4月時点で30人になりました。日本陸上競技連盟が今回、五輪の関門としてMGCを設定したことは、選手の強化にうまく作用し、設楽悠太選手(Honda)や大迫傑選手(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)が次々に日本記録を塗り替えるなど、全体のレベルは確実に上がっていると言えるでしょう。

新記録続出に勢いづく男子選手、一方女子選手は…

 そんな男子選手の活躍に比べると、女子選手は話題に挙がるような抜きん出た選手が登場せず、長らく低迷していました。MGC出場権の獲得者数も大きく増えることがなく、「このまま東京オリンピックを迎えて大丈夫だろうか」と心配していました。

 結果が出なかった原因はいろいろありますが、その1つとして、成長しきれないまま選手生活を終える選手が多くなったように思います。つまり、粘れる選手が少なくなったということです。

 粘れるということはどういうことでしょうか。「レースの中で粘る」ことはもちろんですが、実業団など1つの所属先で、結果が出るまであきらめずに頑張り続けるということも、「粘る」ことに含まれると私は考えています。

 1つの場所にい続けることが必ずしも良いこととは言い切れませんが、自分に合わないと感じると簡単に移籍したり、引退してしまったりする選手が近年目立ち、それが選手としての成長の妨げになっているのではと感じることがあります。

 簡単に移籍したり、引退したりするのは、世代の価値観の影響もあるかもしれませんし、昔に比べて指導者の入れ替わりが頻繁になったことも関連しているのかもしれません。実業団の母体企業の経営不振が原因でチーム運営が不安定になるなど、入れ替わりの原因はさまざまでしょうが、指導者が変わると方針も変わり、長期的なプランで選手をじっくり育てることが難しくなります。

 女子マラソン界が低迷期から脱出するためには、選手をじっくり育てる安定した環境作りと、自分の置かれた場所で、すぐに結果が出なくてもあきらめずに粘り抜くといった、選手一人ひとりの意識改革が必要ではないかと感じます。

一筋の光が差し込んだ名古屋ウィメンズマラソン

 そんななかで、今年3月10日に開催された「名古屋ウィメンズマラソン2019」は、低迷が続く女子マラソン界に一筋の希望の光が差し込んだような大会でした。蓋を開ければ、一気に5人の選手がMGCの出場権を獲得。必死に粘って、MGCの切符をつかみ取った選手が続出したのです。

名古屋ウィメンズマラソン2019で3km地点を走る先頭集団。中央が福士加代子選手、左端は日本人1位に入った岩出玲亜選手。(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 この結果をもって「女子選手が強くなった」とは一概には言えないかもしれません。なぜなら、今回の名古屋ウィメンズマラソンは、気温11.2℃、湿度61.4%、ほぼ無風といったマラソンには絶好のコンディションのなか、準備されたペースメーカー(*1)が理想的なペース配分で選手を引っ張ったからです。

 こうした好条件を冷静に生かした選手が、順当に結果を出しただけの大会、という見方もあるでしょう。しかし、どんなに実力があっても、本番でその実力を出し切る強いメンタルがなければ、いくら好条件に恵まれても結果は出ません。今回の名古屋でMGCの出場権を手にした選手たちは、そんな勝つための条件を、身をもって学んだのではないでしょうか。

 特に、レース途中で転倒して棄権した「第38回大阪国際女子マラソン」からわずか42日後のレースでありながら、日本人2位に入り、MGC出場権を獲得した福士加代子選手(ワコール)は、非常によく粘ったと思います(日本人1位は、既にMGC出場を決めていた岩出玲亜選手〔アンダーアーマー〕)。

 失敗しても何度も立ち向かっていく彼女の姿勢や、大阪の失敗から名古屋へと素早く気持ちを切り替えた集中力、そして粘りの走りによってセカンドベストの2時間24分09秒をマークし、日本人2位に入ったことは、若手を含めたマラソン女子選手たちに大いに刺激を与え、背中を押したのではないでしょうか。

 そんな福士選手は、レース後にこんなことを話していました。「今回は海外の選手がいたけれど、MGCではいなくなる。(自分は)主導権を握って走るというのをやったことがないので、MGCではやってみたい」。この言葉を聞いて私は、「ああ、彼女はきちんと自分の置かれた状況や課題を分かっているな」と思いました。

「なぜ勝てたのか」を振り返ることで見えてくるもの

 名古屋ウィメンズマラソンは絶好のコンディションで、理想的なペースメーカーもいました。でも、オリンピックのレースではペースメーカーはいませんし、どんな天候になるかも分かりません。恐らく相当な暑さの中での戦いになるでしょう。そんな中で勝つためには、自分自身でペースを組み立てて走る能力が必須条件になります。

 MGCの出場権を獲得した女子選手たちが、さらにここからもう一段強くなるためには、「なぜここで結果が出せたのか」「どうして自分は走れたのか」という徹底的な分析がカギになるでしょう。

 失敗したときはもちろんのこと、良い結果が出たときであっても、その分析を人任せにせず、練習内容や技術面、体調面、メンタル面といったさまざまな角度から振り返り、自分の頭でしっかり勝因を考えることはとても重要です。そこから見えてくる答えやさらなる課題は、MGCやオリンピックのレースの作戦を立てるときに必ず生きてくるはずです。

 私自身も現役の頃は、普段の練習内容はもちろん、レースでの体の状態やメンタル面、食べた食事の栄養成分までノートに記録し、「こういうものを食べたから、今回のレースではエネルギー切れしなかった」など、結果と自身の状況の関係性を少しでも把握しようとしていました(連載バックナンバー「有森裕子 私の陸上人生を支えてくれた手帳」)。選手として成長し、オリンピックでメダルを獲得するために、そうした振り返りが大いに役に立ったと実感しています。

*1 ペースメーカー:あらかじめ設定されたペースで指定された距離まで走り、先頭集団を引っ張る役目を果たすランナーのこと。

常識にとらわれず、自分自身でレースを組み立てる意識を持つ

 私が現役だったころよりも、今の日本の女子選手の方が、タイムを見れば実力は格段に上です。そんな彼女たちが世界の舞台で勝つためには何が必要でしょうか。

 私が銅メダルを獲得した1996年のアトランタ五輪女子マラソンでは、ファツマ・ロバというエチオピアの選手が優勝しました。覚えている方もいらっしゃると思いますが、当時まったく無名の選手だった彼女は、なんと19km付近で先頭集団から飛び出し、独走状態に入ったのです。見ている誰もが、「こんなに早くスパートをかけるなんて無謀だ、この選手はいずれ失速するだろう」と思ったはずです。

 ところが彼女は、大方の予想を覆し、独走を保ったまま2位以下に圧倒的な差をつけて金メダルを勝ち取りました。これには世界中が驚きました。20km前でスパートをかけるというのは、マラソンの通常の勝ちパターンからは考えられないことです。しかし当時の彼女は、それで勝てると確信して、勝負に出たのでしょう。最後まで失速することなくゴールテープを切れたのは、早い時点でスパートをかける練習を繰り返していたからかもしれませんし、「今日はそれができるコンディションや体調だ」と分かっていたからかもしれません。

 そうした常識にとらわれない作戦を立てて、そのためのトレーニングを積み、さらに五輪という大舞台で仕掛けられるまでのメンタルがないと、金メダルはつかみとれないのです。

 そのためには、やはり普段から、自分でペースを組み立てていくという意識や、さまざまな状況に対応するための練習が重要になると思います。

(まとめ:高島三幸=ライター)

有森裕子(ありもり ゆうこ)さん
元マラソンランナー
有森裕子(ありもり ゆうこ)さん

1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。

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