年度末を迎え、慌ただしくお過ごしの方も多いかもしれません。本来なら少しずつ春を感じて気持ちも明るくなるはずなのですが、テレビなどのニュースメディアでは連日、ロシアによるウクライナ侵攻の報道が流れています。戦争負傷兵のリハビリが起源とされるパラリンピックが北京で開催されているなかでの、この皮肉な状況には胸が痛みます。スポーツ界でもさまざまな競技のアスリートが、試合の場やSNSなどで反戦の訴えを表明しています。一刻も早く停戦が実現し、この状況が解決することを祈るばかりです。
ネガティブな感情が現れたときに思い起こす、茨木のり子さんの詩
長引くコロナ禍やロシアによる軍事侵攻など、自分1人ではどうにもならない悲しい状況が続いているためか、世の中を見渡すと、イライラしたり、ギスギスしたり、全体的に気持ちに余裕がない雰囲気が漂っている気がします。マスクを外して人と自由に会って話して、不安な気持ちを解消することができない状況も、大いに関係しているのでしょう。
私自身も、コロナ前と比べて1人で悶々と考える時間が長くなり、ついネガティブなことを考えて落ち込んだり、やる気が湧かなかったりすることが増えたように思います。しかし、そんな自分を俯瞰してみると、コロナだからメンタルが一変したのではなく、元々の自分の性格である深く考え込んでしまう性分やネガティブな面が、コロナがもたらした生活環境の変化によって浮き彫りになっただけなのではないかと分析しています。
メンタルの変化をコロナのせいにすることは簡単ですが、遅かれ早かれこうした自分の特性と向き合わなければいけない時期がやってくるのだろうと受け止め、解消できるものがあるかもしれないと考えることも大切だと思っています。もちろん、メンタルの変化がひどければ、医師などの専門家に頼ることは大前提です。

私が悶々としたときや気分が落ち込んだときにいつも思い出すのは、私の好きな詩人・茨木のり子さんの作品です。詩人であり、エッセイストであり、童話作家であり、脚本家でもある彼女は、青春時代に戦火を生き抜き、『見えない配達夫』『鎮魂歌』『倚(よ)りかからず』などの詩集を世に残し、多数の国語の教科書にも掲載されています。
彼女の作品の中でも私が特に好きなのは、『自分の感受性くらい』という詩です。思い出したときにすぐに手に取れるように書斎に置いてあり、手帳にも書き写しています。
その詩を以下に引用します。
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