私はこの報道に触れ、大きな違和感を覚えました。
騒動直後の2月上旬にボランティアの辞退報道があった時も、「どうしてもおやめになりたいということだったら、また新たなボランティアを募集する、追加するということにならざるを得ない」と話した自民党幹部の発言にも憤りを感じましたが、今回の組織委員会の「運営には支障はない」という見解は、またしても、辞退したボランティアの一人ひとりの心情に寄り添わない、残念なコメントに思えてなりませんでした。
五輪ボランティアの方々は、エントリーから長い期間を費やして、面接やオリエンテーション、研修を受け、大会を成功に導くために少しでも貢献したい、一緒に喜びを分かち合いたい、という思いで協力してくださっています。今回辞退した方たちは、単に森氏の発言に腹を立てて、腹いせに辞めているのではなく、それぞれ、自分自身の五輪への思いとの狭間で葛藤し、悩んだ末の決断だったのではないでしょうか。私は、組織委員会がそのことの重みをきちんと理解しているようには感じられなかったのです。
ボランティアにお礼を伝えるランナーの姿に感動した引退レース
ボランティアの方々は、大会の大切な「顔」です。初めて訪れる土地でタクシーに乗ったとき、その運転手さんの態度や人柄がその街の印象を大きく左右するように、全国各地で開かれるマラソン大会でも、その地域に住む子どもから高齢者まで、幅広い年齢の人たちが、生き生きと楽しそうにボランティアとして支えてくださっていることが、大会の良い雰囲気を作り出し、一体感につながります。
そう心から思えるようになったきっかけは、私の引退レースになった「東京マラソン2007」でした。忘れもしないあの日、東京は冷たい雨が降っていました。立っているだけで凍えそうな極寒の中を、多くのボランティアの人たちが雨に濡れながら一生懸命、水や食べ物を手渡してくださいました。そんな献身的な姿に、心から「ありがとう」と頭を下げてお礼を伝えているランナーの皆さんがたくさんいる、そんな大会だったんです。
ランナーも、ボランティアも、スタッフも、沿道で応援する皆さんも、それぞれの存在が主役であることを認め合い、支え合い、喜びを分かち合える。そんな素晴らしい大会として、この日見た光景は私の脳裏に深く刻まれました。
だからこそ、ボランティアは誰一人として欠けてはダメなんです。辞めたいと思わせるようなことがあってはいけないのです。それがまして、“スポーツを通じた平和の祭典”である五輪・パラリンピックであればなおさらではないでしょうか? “祭典”の主役は選手だけではありません。運営側の、少なくとも情報を発信する代表的な立場の人たちがこうしたことを共有できていれば、「足りなければ代わりを募集すればいい」という発想や、「たった1%だから減っても大丈夫」という考えにはならず、「運営に支障がないこと」をアピールする発信にもならなかったのではないでしょうか。
辞退した人の数が多い、少ないという問題ではなく、大会の主役の一角を担うボランティアの心を傷つけ、意欲を挫いてしまったことに真摯に向き合い、尊重する気持ちがあれば、もっと違う言葉の選び方があったのではないかと思います。こうした対応では、残ってくれたボランティアの方々の心を一つにすることも難しくなってしまうのではないでしょうか。
今回の騒動では、ジェンダー論や、世界から見た日本の姿に大きな関心が寄せられていますが、こうした大会を支えるボランティアの方のモチベ―ションにも、今一度目を向けていただけたらと思います。目指す場を作り出すために本当に大切なエネルギーは、大会関係者以上に、それをサポートしてくれるボランティアなどの人たちにあるのではないでしょうか。大会を真の意味での成功に導くためには、こうした問題に誠意をもって対応し、国民に丁寧に説明していくことが、橋本氏をトップとした組織委員会に課せられた最重要課題ではないかと感じます。
(まとめ:高島三幸=ライター)
元マラソンランナー(五輪メダリスト)

1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。公式Instagramアカウントはこちら。
