2位の上杉選手に見た「イメージを作って形にできる力」
今回の大阪国際女子マラソンでは、2位の上杉選手も印象に残りました。私の現役時代と比べると、今の選手たちの練習タイムは総じてレベルが高く、あとはその潜在能力を大会本番でどう発揮するかだと思っています。そのために必要なのは本人の意志の強さですが、松田選手はもちろん、上杉選手にもその意志の強さを感じました。
上杉選手の持ちタイムから言えば、第2集団につくという選択をしてもおかしくないレース展開でした。しかし彼女は、第1集団の松田選手につくという勇気ある選択をしました。ペースメーカーは遅れた選手に合わせるということはできないので、25キロ付近で先頭から離れてしまってからは上杉選手の1人旅になりましたが、粘りの走りで2位を死守しました。
今のマラソンのレベルは、レース終盤で後方集団から先頭集団へ一気に追い上げられるほど甘くはありません。前半から飛ばすことを怖がる選手も多いと思いますが、力がある選手であれば、こうした国内大会こそ果敢に攻めるといったチャレンジをしてほしいですし、そうした強い意志が必要だと思います。上杉選手はこの大会で「2時間23分を切る」といった明確なイメージを作ってチャレンジしたのでしょう。イメージを作って形にできる力は非常に大事で、国外で戦うときの自信になるはずです。今後が楽しみな選手です。
たった2回目のマラソンで、3位でゴールした松下菜摘選手(天満屋)も面白い逸材だと思いました。少林寺拳法やスピードスケートのショートトラックなど、幼いころからさまざまな競技を経験してきたそうで、そこで培われた足腰の強さや粘り強さを感じました。2000年シドニー五輪女子マラソン代表の山口衛里さん(現・天満屋コーチ)に適性を見抜かれ、大学3年から本格的にマラソン競技に打ち込んできたそうです。経験が浅い分、上杉選手のような意志の強さはまだ感じられなかったものの、MGCの出場権もつかみ、今後どのように自分と向き合いながら世界の舞台で戦える選手に成長していくかが楽しみです。
挑戦し続ける姿が共感を呼び、多くの人々から親しまれた福士選手
最後に福士加代子選手(ワコール)の引退にも触れたいと思います。今回の大阪国際女子マラソンは、福士選手の引退試合でもありました。彼女は今大会ではハーフマラソンに参加し、大勢の人たちの拍手で出迎えられながら笑顔でゴールし、競技人生に幕を下ろしました。
福士選手は、2004年のアテネ五輪、08年北京五輪、12年ロンドン五輪の3大会連続で陸上トラック種目に出場し、「トラックの女王」と呼ばれてきました。初マラソンに挑戦したのは08年の大阪国際女子マラソン。終盤のスタミナ切れで転倒して19位に終わりましたが、その後、着々と力をつけ、13年と16年に優勝し、16年は2時間22分17秒の自己ベストをマークするなど、大阪国際は彼女にとって思い出深い大会の1つではないかと思います。13年の世界選手権(モスクワ)ではマラソンで銅メダルを獲得し、4度目の五輪となった16年のリオデジャネイロ五輪では14位でした。
トラックでは女王と呼ばれた彼女も、マラソンでは良い結果を出せない時期が長く、相当苦労したと思います。しかし、「練習が嫌だ」とたびたび口にしながらも挑戦し続ける姿が共感を呼び、歯に衣着せぬ発言や明るい人柄が多くの人々から親しまれ、注目され続けてきました。
お茶目でひょうきんな福士選手は、本来はシャイでとても繊細な選手であり、その裏返しとして、レースの結果を笑い飛ばすような言動を見せていたのだと思います。39歳までマラソンを続け、苦しいことも含めて走ることと向き合い、面白さを追求し続けた福士選手の陸上人生は、迷い悩む若手選手にとっても励みになるものだったと思います。心からお疲れさまと言いたいです。
(まとめ:高島三幸=ライター)
元マラソンランナー(五輪メダリスト)

1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。公式Instagramアカウントはこちら。