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私の「カラダ資本論」

筋肉質体型を30年維持、その秘訣は?【ミズノ 水野社長】

第1回 森光子さんがライバル!

 水野明人=ミズノ社長

 様々な分野で活躍する一流人が実践する健康管理術を紹介する本コラム。今回は、大手スポーツ用品メーカーであるミズノの水野明人社長(68歳)にご登場いただく。スポーツを通して人々の健康に貢献するミズノは、2016年には社内向けに『健康経営宣言』を行い、2018年には『健康経営優良法人』にも選定されている。その指揮を執る水野さんも、毎朝の運動習慣によって30年間同じ体型を維持するなど、健康管理に余念がない。1回目は運動と食事の秘訣について聞いた。

 学生時代はバスケットボール部に所属していて、トレーニングもかなりハードでした。太ももがかなり太くなってしまい、筋肉が邪魔をして正座ができないほどだったんです。当時はズボンをウエスト長で合わせて買うと、太ももがパンパンで入らない。ですから、太ももが入るサイズを買って、ウエスト部分を詰めてはいていたほどでした。

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 ところが、社会人になって運動と縁が切れると、どんどん細くなってしまいました。年齢を重ねるにつれて、趣味のゴルフではドライバーの飛距離も落ちていく。60代が近づいてきて「これは何とかしなくちゃいけない」と思い始めましたね。

朝起きてからのスクワットで足腰の筋力維持

 そこで、健康維持の一環として、ハーフスクワット(立ち姿勢から大腿部が45度程度傾くまでお尻を落とすスクワット)を朝起きてから300回やることを日課にすると決めました。きっかけは森光子さんが毎朝200回やっているという話を聞いたからです。それならば自分にもできるだろうと思って、60歳の頃から始めました。

 やり始めると、とことん突き詰めないと気が済まない性格なので、一時は回数が増えてしまって、1日に550回やっていました。ところが、それが原因かどうかは分かりませんが、ゴルフの何気ない動きでギックリ腰をやってしまって…。それからは300回に抑えることにしました。やはり、やり過ぎはあまり体に良くないのではないかと反省して、少し自制したんです。

 年を取ってくると減りやすいのは太もも周りの筋肉である大腿二頭筋や大腿四頭筋で、それをカバーするにはスクワットが良いという記事も読みました。加齢により衰えていく部位をしっかり鍛えることが大切だと思います。

 スクワットを終えたら、両足を揃えてかかとを上げ下げするカーフレイズも300回やります。おかげでふくらはぎの筋肉もかなりしっかりしていますよ。ある日、自宅で電球を替えるために脚立に乗ったら、「あら、ふくらはぎの筋肉がクッキリ割れているわよ」と妻に言われました。

 海外出張に行った時もこの習慣は欠かせませんね。いつまでも元気でいるには、運動をして足腰の筋肉を維持することが何よりも重要と実感しています。

朝の運動と食事の調整で30年同じ体重を維持

 40代の前半には、スポーツジムの会員になっていたこともありました。当時、入会金が確か10万円で、年会費が7万2000円だったと記憶しています。それなりの料金がかかりますが、実際にジムへ行けたのは1年目が11回、2年目は2回、3年目はついに一度も行かなくなってしまいました。3年間で40万円近い出費で、行った回数で割ると1回当たり3万円以上かけていることになる。スポーツ用品を売っているメーカーの人間が言うのも何ですが、なんだか無駄に思えてしまいました(笑)。今では、自宅で手軽にできるスクワットとカーフレイズだけを続けています。

 健康管理の面では、食事はできるだけ野菜から食べるようにしています。もう高齢なので、たんぱく質も積極的にとって、筋肉量を保つように心掛けています。好き嫌いはないほうですが、ホルモン類の肉は苦手で、2月の平昌五輪で韓国へ行った際にも食べませんでした。やっぱり一般的な魚や肉がいいですよ。会食や海外出張に行くと、どうしてもおいしいものがたくさんある。食事を残すことには罪悪感を覚える世代なので、つい食べ過ぎてしまうこともあります。その場合は、後日に少し食べる量を減らして調整します。また、お酒は飲めない体質です。このような、ちょっとした食事の工夫と朝の運動で、身長169cm、体重75kgの体型を30年くらい維持しています。

(まとめ:松尾直俊=フィットネスライター/インタビュー写真:村田わかな)

水野明人(みずの あきと)さん
ミズノ 社長
水野明人(みずの あきと)さん 1949年兵庫県生まれ。関西学院大学から米国イリノイ州ウエスレイアン大学に留学し、1974年に同大学経営学部卒業。75年ミズノ入社。76年に関西学院大学商学部卒業。大学2年時、6名のチームで関西学生バスケットボール新人戦に挑み、多人数のチームを破って決勝進出。決勝戦では強豪の同志社大学に敗れたが、一致団結したチームワークで準優勝。84年に取締役就任。2006年に56歳で代表取締役社長に就任。