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山本昌投手50歳の引退登板 プロとしての長寿の秘密

最年長記録更新の「裏」には柔軟な思考があった?!

 寺西 芝=日経Gooday

今季限りで現役を引退するプロ野球中日ドラゴンズの山本昌投手(本名:山本昌広)。引退登板で一人の打者に投げ、50歳1カ月での登板は日本最年長記録だ。83年にドラゴンズに入団して32年、数々の最年長記録を更新した山本昌投手の選手としての「長寿」の秘密を探ってみた。

 ノーヒットノーランのプロ野球最年長記録保持者、通算219勝、50歳1カ月での先発登板は自らの記録を更新する日本最年長記録。数々の記録を打ち立て、もはやレジェンドの山本昌投手。ただ、独特のフォームから繰り出される球はけっして速いわけではない。では、なぜこんなに長く現役で活躍できたのか。

“米国留学”が原点

 まず、山本昌投手のこれまでの経歴を見てみよう。

 「18歳の時に大きな夢を抱いて中日ドラゴンズに入団しましたが、全然力足りず、苦悩の日々を過ごしていましたが、1988年にドジャーズに留学して、アイク生原さんに指導していただいて、まさかここまで花が咲くとは思いませんでしたが、あそこが本当に原点だったかなと今思います」(中日ドラゴンズ公式ウェブサイトに掲載された引退発表時のコメントから)

(Ievgen Onyshchenko/123RF.com)

 1983年にドラフト5位で入団。入団後2年間は1軍登板がなく、3年目の86年10月にプロ初登板したものの、86~87年の2年間はまったく勝てなかった。勝ち星もないまま88年のキャンプを迎えていたときのことだ。

 本人が語っているように、プロ入り5年目の88年、キャンプで米国フロリダ州ベロビーチのドジャータウンを訪れる。当時中日はドジャーズと業務提携しており、この地で春季キャンプを行っていた。そこで星野仙一監督(当時)からこのままフロリダに残って米国のマイナーリーグで投げるよう“通告”を受けるのだ。日本のプロ野球選手なのに、日本のリーグから遠ざけられ、米国生活が始まる。

 これがかえってよかったとスポーツライターの青島健太氏は言う。

青島健太氏

 「若い頃にしっかりと時間を持てたことが、本人の財産になっていると思う。米国の文化は欠点を矯正するのではなく、持ち味をより伸ばす指導だからよかったのでは」

 体は大きいが、5年たっても芽が出ない。そんなときに出された“通告”だったが、現地になじむことでそれをプラスに変えていった。

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