日経グッデイ

「わたしも、がんでした」

役割分担を決めて、 家族全員の「プロジェクト」に

家族編 「がんは“生きる”と向き合うプロジェクトです」(3)

 砂田麻美=映画監督

がんは、患者本人だけの病ではありません。家族みんなが当事者になり得ます。患者さんが「がんと共に働き、生きる」ためには、家族の役割分担が欠かせません。では、家族は、どう身内のがんと向き合い、どうサポートすればいいのか。例えば、がんをきっかけに、患者さんが「よく生きる」ためのプロジェクトとして家族みんながチームのように役割分担をしながらサポートする。家族編で登場するのは、ドキュメンタリー映画「エンディングノート」の監督、砂田麻美さんです。映画は、末期がんと診断された砂田さんのお父さまが、死後の後始末について「エンディングノート」を家族にしたためるところから始まります。そんなお父さまと、ご家族やご友人とが一緒に過ごすかけがえのない時間。「死」と向き合うことで、むしろ「生きる」ことを真剣に考える。実行する。大ヒット映画の舞台裏でもある砂田さんとご家族のご経験から、がんと家族と人の死と生について、砂田さんと一緒に考えてみましょう。

砂田さんのお父さまのがんは、わかった時点で「ステージIV」。手術もできない状態でした。つまり、治療によって回復する道がほぼ断たれていた。がんにかかったご本人以上に家族が、その現実の重さにどう対応すればいいのか、最初は戸惑います。けれども、淡々とエンディングノートを記し、自らは気弱な顔を見せないご本人を前に、家族も次第にどうすればいいのかが、おのずと見えてきました。家族それぞれが役割分担をして、行動面でも、精神面でも、本人の「日常」をサポートしよう、と。

 私たち家族が、なによりも優先しようと思ったのは、父が何を求めていて、どうすると一番心地いいだろうか、ということについて、なるべくきめ細かく目配りすることでした。

 幸いなことに、父は、抗がん剤治療が始まってからも、日常生活はあまり変わらずに送ることができました。そうなると、治療以上に、普通の日常をどうやったら穏やかに楽しく暮らせるだろうか、ということが、とっても大切になってきます。ごくごく平凡な生活をゆったり送れるように、自然にサポートしていこう、というのが家族の間での暗黙の了解になっていましたね。

 父の前では悲しそうにしない、というのも家族の間で自覚してやっていたことですね。もちろん、無理やり明るく振る舞うとかえって不自然ですし、かといって、ふとひとりになると、やっぱり暗くなってしまうので、「普通に明るくしている」のは、けっこう難しいところもありました。実際には、考えること以上に、毎日やらなきゃいけないことがたくさんあったので、実務を淡々とこなしていることで、なんとかやり過ごしていた部分はあると思うのですが。

 それから家族間で、メールを使って、治療方法やその他いろいろな情報を共有することは頻繁になりました。

 例えば主治医の先生のところに話を聞きに行ったら、そのとき聞いた内容を帰ってから父自らテキストに起こしてメーリングリストに流したりもするわけです。まるで会議の議事録みたいだなぁと思ったりもしたんですが。

家族同士で、お互いの流儀に不満をもつことも

 もちろん、兄弟の間で、父への接し方や、治療に対する考え方で、ぎくしゃくしたり、ぶつかったり、けんかになったことも、あります。それぞれ性格も考え方も違いますから。

 特に、がん治療が始まった頃は、私たちの方針もひとつに固まっていませんでしたから、お互いの流儀に不満をもつこともありました。

 姉とは一度、言い争いをしましたね。

 私は、父のがんについて知らないことがあるのが嫌だったので、とにかくいろいろな方法で情報を収集して、頭にたたき込んで、お医者さまとも相談をちゃんとして、具体的な治療でよりよい結果を出せないか模索していたんです。

 一方、姉はというと、情報とロジックとで詰めていく私と正反対の性格で、もっとのんびりしているというか、父へのサポートも、理詰めじゃなくて気持ちでやる。優しい声をかけて、小まめに面倒をみるというタイプだった。

 いま思えばどっちのサポートも必要なんですけど、あのときの私は、姉があんまりがんの治療に関する知識や情報を吸収しようとしないのが、どこか不満だったんです。薬や治療の専門用語を、全然知らなかったりして。

 で、あるとき、私と姉とで主治医の先生に話を聞きに行った帰り、その点で口論になったんですね。

 私が姉に対して、お父さんの病気のこと真剣に捉えてないんじゃないか?と。姉は姉で、自分はこれだけ心配してるのにどうしてそんなふうに言うのか、と。

 でもそこでお互いがお互いの感情をぶつけあったことで、自分たちがどういう風に父の病気や残された時間を捉えているか、はじめて理解できた部分が大きかった。

 がんになった本人を家族がどのように支えていくのかは、本当に人それぞれだと思うんです。正解はない。サポートの仕方も、それぞれの性格と、それぞれの得意分野を中心にやるのが、お互いストレスもたまらないし、むしろ積極的に向かい合える。

 そういう部分がわかってからは、姉や兄や母と、自然に役割分担ができるようになったんです。兄弟がいちばん結束したのも、そのときからだった気がします。

砂田麻美(すなだ まみ)さん
映画監督
砂田麻美(すなだ まみ)さん 1978年生まれ。慶應義塾大学在学中からドキュメンタリーを学び、映画製作に携わる。卒業後はフリーの監督助手として、河瀨直美、岩井俊二、是枝裕和らの製作現場に参加。2009年にがん告知を受けた父の最期にカメラを向けたドキュメンタリー映画『エンディングノート』を製作。2011年に一般公開され、監督デビュー。同作は高い評価を受け、第52回日本映画監督協会新人賞・第36回報知映画賞新人賞・芸術選奨文部科学大臣新人賞他多数受賞。2013年にはスタジオジブリを題材にした『夢と狂気の王国』を監督。第39回トロント国際映画祭正式出品の他、香港・北米で一般劇場公開された。小説に『音のない花火』(ポプラ社刊)。

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 医学の進歩によって、「がん=迫りくる死」ではなくなっています。実はかなり多くの人が、がんと共に社会で暮らしています。しかし、がんと共に生きることや働くことは、日本社会ではまだまだ普通のことと思われていません。がんと共に生きるとは、働くとは実際にはどういうことなのか。それを知っていただくために、本書ではがんに関わる当事者の方々に語っていただきました。──「はじめに」より

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