日経グッデイ

左党の一分

酒は毒? 薬? アルコールの影響で「脳」はこう変わる

生涯の総飲酒量が脳の萎縮に影響する

 葉石かおり=エッセイスト・酒ジャーナリスト

『酒は百薬の長』という諺(ことわざ)にもあるように、アルコールは脳にとって、何かしらの健康効果は期待できるのだろうか。お酒の飲み過ぎによる脳への影響は、前回ご紹介した「感情のコントロール」「長期記憶」「平衡感覚」といった酔っ払いならではの“奇行”だけにはとどまらないことが分かった。自然科学研究機構生理学研究所の教授で、医学博士の柿木隆介教授に話を聞いた。

 人の名前が思い出せない、ごく簡単な漢字が書けない、今、何をしようとしたか忘れてしまった…など、加齢に伴って、日常的に起こるちょっとした物忘れ。酒を飲む習慣があまりない人にとっては「良くあること」と流してしまうことだったとしても、左党にとっては一抹の不安をかきたてられることはないだろうか。その不安とは、「酒の飲み過ぎで、脳の機能が低下しているのではないか?」ということだ。

 普段の言動をコントロールしている理性、すなわち脳内の前頭葉によって抑えられている感情や思いを解き放ち、幸せな気分を増幅させる酒は、まさに「人類の至宝!」ともいえる存在(「どうして酔っ払いは同じ話を繰り返すのか?」)。だが、その一方で気になるのが酒の飲み過ぎによる脳自体への“健康被害”である。

左党にとって、心底まで酔えるのはかけがえのない幸せではあるが、飲酒量が増えるにつれて「脳」の萎縮も進むことがわかっている。(©ximagination-123rf)
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 アルコールはくも膜下出血、脳梗塞、認知症といった脳疾患を誘因する危険性はやはり高いのだろうか? こうした疑問について、前回に引き続き、ヒトの体と脳について研究をしている自然科学研究機構生理学研究所の教授で、医学博士の柿木隆介氏に話を聞いた。

酒好きは脳が小さくなりやすい!

 「アルコールの過剰摂取に起因する生活習慣病が引き金となった脳梗塞などの血管リスク、日常的に大量の飲酒をすることで起こるアルコール依存症などを除けば、脳への直接的なリスクは、適量であればそれほど高くないと考えられています。しかしお酒を頻繁に飲む人の脳を調べると、あまり飲まない人に比べ、年齢以上に萎縮している傾向が見られます」と柿木教授。

 つまり、アルコールによって脳が“縮んでいる”というのだ!

 一般的に脳の萎縮は、30歳を過ぎた頃から始まるとされている避けられない加齢現象の一つだ。主に、脳内の白質と呼ばれる神経線維が集まる領域が死滅し、脳が小さくなっていくために起こる。

 萎縮による代表的な自覚症状の一つが記憶力の低下で、急速に進むと認知症にまで進展してしまうこともある。ただでさえ加齢とともに脳は萎縮していくわけだが、「アルコールが加わるとかなり進むと考えられています。同じ年代でお酒を『飲む人』と『飲まない人』の脳をMRI(核磁気共鳴画像法)の画像で比べると、前者の脳は後者に比べ10~20%ほど萎縮していることが多い。特に目立つのが、大脳で対になっていて、脳脊髄液で満たされている側脳室(そくのうしつ)が大きくなっていることです。これは脳全体が小さくなったことによって、側脳室が広がったことを示しています」と柿木教授は話す。ではアルコールは具体的に、脳のどの部分に強い影響を与えるのだろうか?

縮んだ脳は二度と元には戻らない!?

 「例えば、脳の萎縮が原因の一つとされる認知症、アルツハイマー病は、記憶を司る海馬や、理性をコントロールする前頭葉、言語認識や視聴覚を担う側頭葉前方の萎縮が特有なのに対し、アルコールは脳全体を萎縮させます。最近では飲酒量と脳の萎縮の程度は正の相関にあり、飲酒歴が長い人ほど進行が早いとの研究も発表されています。“休肝日”の有無など飲酒の頻度や、蒸留酒、醸造酒といった酒の種類とは関係がなく、『生涯のうちに飲むアルコールの総量』が強く影響していると考えられており、つまり、酒を飲めば飲むほど萎縮が早く進むということです。恐ろしいことに、脳内の神経細胞は、一度死滅すると、そのほかの臓器に備わる幹細胞のように再生することはなく、元の大きさに戻ることは二度とないとされています」(柿木教授)

脳の萎縮は避けられない加齢現象の1つ
写真は25歳、78歳の男性の脳を比較したもの。写真中央部にある脳側室が大きくなり、全体的に小さくなっていることがわかる。脳は30歳前後をピークとして、萎縮が始まるとされる。1日およそ約10万もの神経細胞が減少するとされ、60~65歳ごろにはMRIの画像を見ても、萎縮していることが明らかになってくる。(写真:公益財団 長寿科学振興財団 健康長寿ネット「脳の形態の変化」)
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 さらに柿木教授によると、「日常的にアルコールを大量に飲んでいた高齢男性を調査した研究によれば、あまり飲まない男性に比べて認知症の危険性が4.6倍にもなり、うつ病のリスクも3.7倍になったとの報告もある」。生涯のアルコール総摂取量と萎縮の程度の関係について、学術的な結論はまだ出ていないとのことだが、飲み過ぎが脳疾患のリスクを何かしら高めてしまう可能性はやはり否定できない。

「アルコールで脳を鍛えられる術があれば、左党の私が知りたい(笑)」

 飲み過ぎれば認知症やうつ病のリスクを高めることを知ってもなお、酒を止められないのが左党というもの。以前、この連載で、「日常的に酒を飲むことで、ADH(アルコール脱水素酵素)活性が高まる可能性がある」(「鍛えれば酒に強くなるは迷信!?」)という話を紹介したが、脳に関しても、同様の“トレーニング効果”は期待できないのだろうか。柿木教授に問うてみた。

 「残念ながら、脳科学者の立場から言うと、飲酒の機会を増やしたとしても、肝臓のように、アルコールで脳を鍛えることはできません。もし鍛えられる術があれば、左党の一人でもある私も知りたいです(笑)。脳にとってアルコールは、生理学の観点から言っても、そもそも毒なのですから」

 “毒”とまで言われてしまうと、一瞬ひるんでしまうが、科学的に合成された薬も毒の一種であることに違いはない。また、日本には、古来から「酒は百薬の長」という言葉もある。脳に対する酒の効用は、全くないのか。

 すがるような思いの左党にとって、“一筋の光”となるかもしれないグラフを下に紹介する。飲酒量とによる認知症のリスクの関係を調べたある研究では、ほどほどの量(週にビール350mlを1~6本)を飲んでいる人が、認知症のリスクが最も低くなるとの結果が出ている。つまり、毒と薬は紙一重? さじ加減さえ間違えなければ、酒は脳にとっても“百薬の長”となる可能性が示唆されている。

適度な飲酒は「認知症」のリスクが最も小さくなる
65歳以上の男女3660人を対象に、米国4地域で行われた「飲酒と認知症のリスク」を調べたコホート研究。対象者は1992~94年の間にMRI検査を受け、その後、1998~99年に再び同じ検査を受けた。結果、1週間あたりビール350ml、1~6本相当の適度な飲酒は、「全く飲まない人」と1.0として比べたときに、最も認知症のリスクが低くなることがわかった。(出典:JAMA;289.(11),1405-1413, 2003)
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脳の委縮は少し進むが、あまり心配する必要はなし

 「アルコールは脳を確かに萎縮させますが、記憶に関わる『海馬』や身体のバランス機能を担う『小脳』のように、脳内でも重要な領域が急激に変化しない限り、日常生活に支障を来たすことはありません。飲み過ぎない、適量を守るというルールを決めれば、脳の委縮が少し進むこと以外、あまり心配する必要はありません」(柿木教授)

 自身も大酒飲みだと自称する柿木教授は、飲み過ぎ対策として、「時間を決めて、家族に車で迎えに来てもらうことがある」という。家族がわざわざ迎えに来たら、「もう少し」と思っていても、やはり帰らざるを得ないからだ。健康をキープしながら、大好きな酒を生涯飲み続けるためにも、「もう一杯飲みたいな」と感じたところで盃を置く理性をキープする。これこそが脳、身体にとっても負担がない飲み方なのだ。

柿木隆介(かきぎ りゅうすけ)さん
自然科学研究機構 生理学研究所教授
柿木隆介(かきぎ りゅうすけ)さん 1978年、九州大学医学部卒業後、同大学医学部付属病院(内科、神経内科)、佐賀医科大学内科に勤務。1985~87年、ロンドン大学医学部留学後、佐賀医科大学を経て、1993年より岡崎国立共同研究機構生理学研究所(現、自然科学研究機構)教授。
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