日経グッデイ

石原良純の「日々是好転!ときどきカラダ予報」

石原良純 マラソンはひとりで走っているわけではない

第26回…今秋、3つのマラソンに参加、『函館マラソン』の仇は取った!

 石原良純

テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。50代で人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! 今秋、石原さんは3つのマラソンに参加しました。滑川のハーフマラソンでは想定以上のタイムで疾走し、富山マラソン(フルマラソン)では2度目の「サブ4」を実現。ゲスト・サポーターとして参加した『福岡マラソン』では、いつも沿道からもらっているエネルギーをランナーに返しました。3つの大会を通じて、石原さんの胸に去来した思いとは。

初ハーフマラソンを想定以上のタイムで疾走

 スポーツの秋。今年の僕は三つのマラソン、10月9日『滑川ほたるいかマラソン』、10月30日『富山マラソン』、そして11月13日『福岡マラソン』に参加した。

 富山県滑川市は、もはや僕にとって第2の故郷ともなっている。富山湾の海の恵みは、ほたるいか、ぶり、甘エビ、紅ずわいがに……と枚挙にいとまがない。緑の豊かな大地には、絶えることなく清らかな水が流れ、美味い米を育み、美味しい酒を生む。そして何より振り返った背後には、三千メートル超えの立山連峰がそびえ立つ。海、大地、山。非の打ちどころのない大自然に囲まれた土地は、日本中探してもそう見当たるものではない。

 そんな富山と僕を結び付けたのは、ロケで訪れた滑川で偶然に立ち寄った小さなお寿司屋さんだった。駅前のビジネスホテルから夕食を求めてブラブラ歩いていると、海沿いの旧北国街道に突き当たり、唯一、燈りをともす店を発見した。東京でならば何のツテもない寿司屋に入ることはまずない。でも、魚の街に来たのだからボラれることもないだろう。「ええぃ、ままよ」と扉を開けた。

 中に入るとカウンターの中に頑固そうなおやじさんがひとり。「ここ、いいですか」と尋ねてカウンターの端に座っても見向きもしない。しばらく気まずく沈黙していると、騒がしく扉が開いて、おかあさんが戻って来た。とっても、とっても寡黙な大将と、とっても、とっても賑やかな女将さん。その構図は、二十年経った今も、ずっと変わらない。

 滑川を足がかりに、その後は毎年欠かさず富山の仕事の声がかかる。今や富山県の二十数市町村で、訪れていないところはない。

 そんな滑川の街を、この秋はマラソン大会で疾走することになった。大会はハーフマラソン約21キロ。ならば、スピードを上げて疾走しても完走できると僕は踏んだ。

 僕の想っていた通り、フルとハーフではランナーの思惑は違う。フルマラソンならば、これから42キロ走るうちに何が起こるか分からない。スタート直後のランナーは、あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ、落ち着きがない。僕のゲストランナー用のゼッケンに書かれた名前を見つけ、期待半分、不安半分の笑顔で声を掛けてくる。

 一方、ハーフマラソンは21キロ先のゴールラインが、ランナーの目に見えている。だから、無駄な行動はとらない。脇目をふらず、真っ直ぐ自分の進むコースを見つめ、計算通りのペースで黙々と前へ足を運ぶ。

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『滑川ほたるいかマラソン』では、二十年以上通い続ける滑川・小杉寿司のおやじさん、女将さんが横断幕まで用意して応援してくれた

 一カ月以上しっかり走り込んでいた僕の走りは絶好調。大きなストライドで軽快なピッチを保ってゴールを目指す。レース終盤、旧北国街道の小杉寿司前で、おやじさんや女将さんと一緒に写真に収まる余裕さえあった。沿道の声援に笑顔で応えられているうちは、ランナーにはまだまだ余力が残っているということだ。

 初ハーフマラソンのタイムは、1時間46分22秒。僕が想定していた1時間55分を大きく早まった。

因縁の大会を「サブ4」でクリア!

 そんな自信を胸に臨んだのが三週間後の『富山マラソン』。去年は腹痛で途中棄権した因縁の大会だ。

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去年は腹痛で途中棄権した因縁の『富山マラソン』。今年は、3時間56分11秒と、自己ベストには49秒及ばなかったが、2度目の「サブ4」を実現した

 「良純、今年はガンバレ!」「今年は頑張ってますね」と沿道から声援を受ける。「今年は」はいらない。「今年も、しくじったら」と余計にプレッシャーがかかるではないか。レース前半は、笑顔で小さく片手を挙げて声援に応える。苦しくて当たり前のマラソンで、「何を言ってやがる」とか負のエネルギーはいらない。ランナーと沿道の観衆が正と正のエネルギーをぶつけ合ってこそ、42.195キロが克服できる。

 『富山マラソン』最大の見どころであり、最大の難所となるのが高低差60メートルの新湊大橋。2キロの上りと2キロの下りがランナーの走力を確実に奪う。

 新湊大橋を下り終えても、まだ28キロ地点。ここからがマラソンの真骨頂だ。脚が痛くて思うほど上がらない。背後からは4時間ゴールの緑の風船を帽子につけたオフィシャル・ランナーが迫ってくる。脚が上がらずストライドが伸びないのならば、細かくピッチを上げて速度を維持すればいい。どんどん息が苦しくなってくる。もはや沿道の声援に手を上げる余裕はない。僕は小さく目の玉だけを動かして挨拶する。沿道の皆さんに僕の感謝の気持ち、伝わっていただろうか。

 レースの結果は、3時間56分11秒。自己ベストには49秒及ばなかったが、6月の惨敗した『函館マラソン』の仇は取れた、と僕は満足している。

今回は、いつも沿道からもらっているエネルギーを返す番

 11月の『福岡マラソン』は、KBC(九州朝日放送)特別番組のゲスト・サポーターとして参加した。踊る阿呆に観る阿呆……とは言ったもの。やっぱりマラソンの主役はランナー一人ひとりだ。スタジオでジッと中継画像を観ているだけではつまらない。途中からスタジオを飛び出して、コースへ応援に出かけることにした。

 スタートから3時間を超え、30キロ地点を間近にするランナーの足取りはどれも重い。頭では走ろうとしても、体は走らない。皆さん、ただ黙々と一歩一歩、歩みを進める。

『福岡マラソン』では、30キロ地点でランナー一人ひとりをハイタッチで送り出した(映像提供:九州朝日放送)
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 ならば今回ばかりは、僕が精一杯の応援をして、いつもは僕が沿道からもらっているエネルギーをランナーに与える番だ。「頑張れ」と大声で声をかけ、一人ひとりをハイタッチで送り出す。「あっ、良純さん」と僕に気がついて、ほんの一時でも足の痛みを忘れるだけでも、僕は役に立ったというものだ。

 マラソンは、ひとりで走っているようで、ひとりで走っているわけではないのです。

石原良純(いしはら よしずみ)
俳優・気象予報士
石原良純(いしはら よしずみ) 1962年1月15日生まれ。神奈川県逗子市出身。慶応義塾大学経済学部卒。テレビ、舞台、映画など幅広く活躍。趣味はマラソン。自宅から10キロ先の所属事務所まで走って通うことも。