日経グッデイ

有森裕子の「Coolランニング」

有森裕子 ランニングブームの「曲がり角」を考える

大会の運営体制やスター選手育成戦略の見直しを

 有森裕子=元マラソンランナー

 立春を過ぎてもまだまだ寒い日々が続きますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。ケガをしやすい時期ですから、防寒グッズを活用し、準備運動やストレッチをしっかり行いましょう。また、路面が凍結している日は無理して走ろうとせず、体幹を鍛える補強トレーニングに変更するなど、臨機応変に取り組んでくださいね。

 さて、今回のお題は「日本のランニングブームの曲がり角について」。少し前から、「日本のマラソン人気に陰り」「ランニングブームは去った」といった声が聞かれるようになりました。今日はこのことについて少し考えてみたいと思います。

マラソン大会の数は飽和状態。高い人気を誇る大会がある一方で、参加者の減少に悩む大会も…。(C)anoyo-123rf

東京マラソンがブームに火をつけ、大会も急増

 皆さんもご存じの通り、東京マラソンが始まった2007年ごろからこの10年間で、首都圏を中心に大きなランニングブームが起こりました。皇居周辺の歩道はランナーで賑わい、ランニング人口は1000万人を超えるといわれた時期もありました。今年2月25日に開催を控えた「東京マラソン2018」の抽選倍率(マラソン一般の部)は、実に12倍を超え、参加費が1万円以上もするフルマラソンに何十万人ものランナーがエントリーする時代になりました。

 全国の自治体も、このランニングブームにあやかり、観光客誘致の一環や地方活性化、あるいは住民同士の交流の機会になればとの思いから、次々とマラソン大会を開催するようになりました。ランナーのためのポータルサイト「ランネット」を運営するランナーズホールディングス(東京都渋谷区)によれば、2016年度に開催された国内のフルマラソン大会の数は79。東京マラソンが始まった2006年度の50大会から、11年間で29大会も増えていることになります。マラソンシーズンともなると、全国各地のどの大会に申し込もうか、迷ってしまう方も多いと思います。

 そんな中、いくつかのマラソン大会では異変が生じ始めているようです。昨年、日本経済新聞に掲載された記事(2017年2月13日付「ランナー置き去り 市民マラソン、バブル崩壊」)は、全国各地のマラソン大会で、「参加人数の低迷により開催を中止」「運営上の混乱でランナーから苦情が殺到」などの“異変”が相次ぎ、「供給過剰のひずみ」が出始めていると報じています。

大会の数は増えているのに、ランナーの数は減っている

 この「ひずみ」の背景の1つに、ランナーの減少があるのは確かなようです。笹川スポーツ財団(東京都港区)が1年おきに実施している調査によると、年に1回以上ランニングをする「ランニング人口」の推計は、2012年の1009万人が最も多く、以降の2014年は986万人、2016年は893万人と右肩下がりの傾向を示しています。その理由として、前出の記事では「コアなランナーはいるが、あまり熱心でなかったランナーが離れ始めた」と解説されていました。

図1 日本のランニング人口の推移
年1回以上ジョギング・ランニングを行う人の割合から推計。出典:笹川スポーツ財団「スポーツライフに関する調査報告書」(1998~2016)
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 確かに、走ることが本当に好きだったり、走ることで自身の成長や体力向上が実感できたりすれば、ランニングはその人のライフスタイルの一部となっていきます。しかし、短期間で劇的な変化を求める人や、何回もレースに挑戦したけれど結果が出ない人、あるいはマンネリ化して目的を見失ってしまった人などは、自然とランニングから離れていくでしょう。これはランニングに限ったことではなく、ブームには必ずピークがあり、いつかは下降に転じることになるのは宿命だと思います。

 マラソン大会の数は急増したのに、肝心のランナーの数は減っている。こうなると、当然ながら淘汰される大会も出てきます。景観が素晴らしく、好タイムが期待できるといった、市民ランナーにとって際立った魅力があれば話は別ですが、毎回同じ催し物や、代わり映えのしない風景を見ながら走るコースでは飽きてしまいますし、「参加者の数に対して給食が十分に用意されていない」「更衣室のスペースが足りない」「誘導のミスで大きな混乱が生じた」など、運営側の不手際や準備不足があると、次回も高い参加費を払って走ろうという気持ちが薄れてしまうでしょう。

ランナー減少の一因に参加費の高騰も?

 大会参加費の高騰も、参加者が減少する一因になっているように思います。コース上に観光名所が多く景観も楽しめる大会なら、参加費が1万円を超えても参加したいと思うランナーが多いのもうなずけます。その一方で、大きな特色のない地方のマラソン大会も、軒並み参加費が高くなっています。そうなると、より魅力のある大会へと参加者が流れてしまっても不思議はありません。

 マラソン大会で多くの人を呼び込み、地元を盛り上げたい自治体側の気持ちも分かりますが、少子高齢化が進む今、このまま大会を増やしても、参加人数が大きく増えることはないように思います。であれば、安全・快適なレースができるよう既存の大会の運営体制をしっかり整え、ランナーを飽きさせない工夫をすることはもちろんのこと、世界で戦えるスター選手を育ててマラソンそのものの注目度や人気を高めることに注力した方がいいのではないかと私は思います。

選ばれし者だけが参加できるハイレベルな大会を増やすべき

 例えば、大会のあり方にしても、必ずしも「誰でもエントリーできる」ようにしなくてもいいと思うのです。「この国際大会は、オリンピックや世界選手権出場を狙う実業団レベルの選手だけが参加できる」「あの大会は、4時間以内の公認記録を持つランナーしか参加できない」など、それぞれの大会に明確なレベル(段階)を設けることで、それぞれの大会に特色が生まれ、注目度を上げられるのではないかと思います。

 今でも高いレベルの選手だけに出場が限られた大会はありますが、数はだいぶ少なくなっています。例えば、かつて「名古屋ウィメンズマラソン」は、ある程度の記録を持ったトップランナーしか出場できない特別なレースでした。日本代表の選考レースの1つとして、ハイレベルな争いの中、どの選手がオリンピックや世界陸上の切符をつかむのか、多くの国民が注目する大会でした。それが今では、フルマラソン初心者でも気軽に出場できる大会になりました。同じく選考レースだった「横浜国際女子マラソン」の後継として2015年に誕生した「さいたま国際マラソン」も、一般ランナーの参加が可能です。

 市民ランナーにとって「トップ選手と一緒のコースを走れる」ということは大きな喜びですし、大会の門戸の開放はランニング人口のすそ野を広げ、市民ランナーのレベルを押し上げた一面もあるでしょう。その一方で、大会の“特別感”が薄れ、トップ選手のレベルがなかなか向上しないという事態が起こっているように感じます。つまり、全体のレベルが平たくなってきているように思うのです。

 トップの選手を育てるためにも、一定の標準記録を突破した選手にとっては「日本選手権」、高校野球でいえば「甲子園」といった、選ばれし者しか出場できない“特別感”のあるハイレベルな大会をもう少し増やした方がいいのでないかと思います。

 今の日本のマラソン界に、男女ともに圧倒的なスター選手が不在というのは、2020年の東京オリンピックを目前にした切実な悩みであると同時に、ランニング人口を減らす一因になっていると思います。川内優輝選手のような市民ランナーが憧れるヒーロー、ヒロインが何人か出てきて切磋琢磨しなければ、大会は盛り上がりません。ますますスポンサーもつきにくくなり、参加費を上げざるを得ないという負の連鎖に陥ります。

 「ランニングブームに陰りが出てきた」という昨今のニュースは、タイミング的にそんなに悪いこととは思っていません。ブームというのはいつまでも続くわけではありませんので、ここからはいわば“成熟期”といえるでしょう。東京オリンピックを2年後に控えた今だからこそ、様々な角度からマラソン大会の運営の在り方や、スター選手の育成戦略などを見直せる、良いきっかけになるのではないかと思っています。

(まとめ:高島三幸=ライター)

有森裕子(ありもり ゆうこ)さん
元マラソンランナー
有森裕子(ありもり ゆうこ)さん

1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。